耳嚢 巻之七 古猫奇有事
古猫奇有事
石川某親族の元に年久しく飼(かへ)る猫有(あり)しが、或時客ありし時彼(かの)猫其邊を立廻りしに、彼猫は古く飼置(かひおき)給ふ抔物語の席にてい主申けるは、猫は襖抔建付(たてつく)るを明(あく)る者也(なり)、此猫も襖のたて明(あけ)をいたし、此猫もやがて化(ばけ)もいたすべきやといふを聞(きく)客も驚(おどろき)しが、猫てい主の㒵(かほ)をつくづく見て立出(たちいで)しが、其後は何方(いづかた)へ行(ゆき)しや行衞知れず。亭主の言葉的中故(ゆへ)なるべしと語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:妖猫奇譚二連発。
・「古猫奇有事」は「こびやうきあること」と読む。
・「石川某」直近二つ前(岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では直前)の「變生男子又女子の事」で中小姓が女に変じた例を挙げる「石川某」と同一人物の様に読める。
■やぶちゃん現代語訳
古猫(ふるねこ)に奇しきことある事
石川某(なにがし)の親族の元に、年久しく飼うて御座った猫があったと申す。……
*
……ある時、客が御座った折り、その猫が主客の座せる座敷近くをうろついて御座ったが、
「この猫は古うから飼(こ)うております猫で御座ってのぅ……」
なんどと、物語の序でに亭主が申しましたは、
「……猫と申すものは、襖なんどを締め切って御座っても、これ、器用に開くるもので御座る。……この猫も襖の開け閉めを人の如く致いて御座る。……いや……この猫もやがては……化けたりも、これ、致すもので御座ろうかのぅ……」
と言うたによって聞いた客も驚いた。
……ところがその時
……うろついて御座った猫が
――ピタ
……と、足を停めた。……
……そうして
……亭主の顔を
……そのまま
――ジッ
……と、見詰めた。……
……暫く致いたかと思うと
――プイ
……と、座敷を出でて行ったと申す。……
……が
……そのまま
……何方(いずかた)へと行ったものやら一向、行衞知れずと相い成ったと申す。
……これは……亭主の言(げん)がまっこと、真実を射たもので御座ったがゆえ、かく姿を隠したもので御座ろう……。
*
と、石川殿が語って御座った。
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