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2013/11/06

耳嚢 巻之七 變生男子又女子の事

 變生男子又女子の事

 

 文化寅年の夏、肥前國天草郡大浦村に嘉左衞門娘やなといへる者、廿六歳にて男子に成(なり)しよし。常にかわりし陰戸の肉、幼年より常にかわりしが連年實上(さねあが)りして、當時は全(まつたく)男子にかわる事なし。尤(もつとも)其質(そのしつ)和らかにて女の樣にも有(あり)しが、髮をも生じ乳も男の通りに成りし由を聞(きき)て、例の留守居廻狀(るすゐくわいじやう)か京童(きようわらは)のたわ事ならんと嘲りしに、座中金澤聞(きき)て、かゝる事もあるまじき事にもあらず、下總の國印旛郡大和田村喜之助と申(まうす)者、廿歳(はたちの)時男根變じて女根(によこん)と成(なり)し事を、郡代方(がた)を勤(つとめ)し比聞(ころきき)しと語る。又石川某が元大御番勤の比(ころ)、森川肥後守組由田與十郎(もりかはひごのかみぐみゆたよじふらう)召仕への中小姓(ちゆうごしやう)名は不覺(おぼえざり)しが、廿五歳にて女子と變じ、程過(ほどすぎ)て子を持(もち)たる事あり。是等は最初陰所甚(はなはだ)痒く、終に男性しぼみ落(おと)し女性と成りし由。右兩人の咄しに何れも生れ付の氣分性質(たち)の如く、やわらかなる人物の由語る。造化の變異かゝる事も有べき也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。こればかりは私好みの話で御座る。根岸の興味の持ち方、眉唾と嘲笑する人物の言を挟んで、後半に実例二例で反駁する話柄の構造も、根岸が「造化の變異かゝる事も有べき也」と腑に落ちて信じている様が窺われて興味深い。根岸って、やっぱりちょっとヘン――僕みたいに、ね!

・「變生男子又女子の事」は「へんじやうなんしまたによしのこと」と読む。やや解説が必要で、ここで挙げられたものは、所謂、第一次性徴に於ける性別の判別が難しい状態若しくはその形状から誤認した半陰陽(IntersexualityHermaphroditism)、性分化疾患(DSDDisorders of sex development )のケースである。

 前者「半陰陽」という語の生物学的な位置づけに於いては、両性の性腺を兼ね備えたものを真性半陰陽、遺伝子と外見とで性別の異なるものを仮性半陰陽と呼び、後者は性腺上の性別によって、男性仮性半陰陽、女性仮性半陰陽として区別される。身体的には、女性仮性半陰陽の場合、膣が塞がっている場合が多く、また陰核が通常よりも肥大し、これが男性器(ペニス)と間違われることがある。男性仮性半陰陽では、尿道下裂や停留睾丸を合併症状として持つこともある(この部分はウィキの「半陰陽」に拠る)。

 また現在、正式な医学的表現として使用されることが多くなった後者は、アンドロゲン不応症(性染色体はXYでアンドロゲンが分泌されるが、アンドロゲン受容体が働かないために外見・外性器ともに女性型となるが、内性器として未分化な精巣を有する状態で思春期以降の無月経などによって判明することが多い)や性別不明外性器で最も多い(七〇~八〇%)先天性副腎皮質過形成(腎皮質の機能異常によってコルチゾールやアルドステロンが低下し、アンドロゲンが過剰に分泌される内分泌系疾患。その殆んどが21水酸化酵素欠損症。男児女児合わせて約五〇〇〇~一五〇〇〇人に一人の頻度で見られる。XX女児においては内性器の構造は女性のものであるが、外性器の一部がどちらかというと男性様の外見になる場合がある。XY男児の場合は思春期早発症(二次性徴が異常に早い時期に始まる疾患)が見られることがある。男児女児ともに治療を行わないと早い時期に発育が停止して新生児期より副腎不全が発生するために適切な治療を行わないと死亡してしまう)・卵精巣性性分化疾患(卵巣・精巣両方の組織を含む性腺を持つ)・性染色体異常によるクラインフェルター症候群(X染色体が二つ若しくは三つにYで外生殖器は男性を示す)及びターナー症候群(X染色体一本又は一本のX染色体が構造異常でX短腕が欠失した核型等で外生殖器は女性を示す)などの身体的性別に関する様々なレベルでの、約六十種類以上の症候群・疾患群を包括する用語である(具体な内容はウィキの「性分化疾患」に拠った)。

 ところが、この前者の「變生男子(へんじやうなんし)」という読み方をした場合の語には江戸時代、仏教的な別のニュアンスが色濃く付帯しており、こうした性分化疾患の病態の変化過程に対してもその現象をこの変成男子(こうも書く)と関連付けて捉えた者も多かったのではないかとも私には思われる。これは仏教のかなり古い時代からの女性差別である点でも附記しておきたい(以下はウィキの「変成男子」を参照及び引用した。引用部では注記記号は省略した)。女子は比丘尼として如何に修行布施をしても成仏することが困難で、一度、男子に生まれ変わって初めて成仏が可能となるとする仏教思想。「法華経提婆達多品」に八歳の竜女の成仏する場面に由来する。初期の経典には見られないものの釈迦滅後に急速に広まった。本邦では奈良・平安期に神道や修験道の女人禁制・出産や生理に伴う穢れが仏教に取り込まれて、この説がある程度までは一般化したと考えられている。但し、『貴族や僧侶が記した女人不成仏に関する文書には『法華経』堤婆達多品や『転女成仏経』などを引用をしても、それらの経文に対する合理的・経論的な根拠・説明が提示されないなど、実際には内在的な理由づけのない観念以上のものではなく、九世紀を遠く下った院政期においても貴族の女性が家中の仏教祭祀において主導的な役割を果たしている姿が確認され、当の貴族社会においても女人不成仏の思想が実際の仏教信仰のあり方に影響を与えておらず、ましてや一般的ではなかったことが知ることが可能である』さらにこの変生男子の説に『批判的な人々も多く、最澄は『法華秀句』において女性が成仏できないとする考えを否認し(ただし、比叡山を女人禁制にしたのは最澄自身である)、鎌倉時代には法然・親鸞・道元・日蓮・叡尊らはそれぞれの立場で批判をしているが、彼らが女人救済論は一方において「女人の罪業」の主張を独り歩きさせてしまう側面も有していた。実際、女性の罪業の深さを説く血盆経信仰が民衆の間で高まったのは江戸時代のこととされている』。問題の事例は寧ろ近代以降の日本人の心性にこそあり、『明治維新後儒教的な家父長制が旧武士階層のみならず一般の農商家にも拡大されると文字通り「女人は成仏できない」という儒教的家父長制による女性蔑視の正当性を証明する根拠として法華系諸宗派を初めとする日本仏教全体で扱われるようになった。日蓮正宗のようにこれ以降国粋主義の高まりも加わって尼僧を廃止した例もある』。また、現在、「変成男子」という語は『一説には女性が髪をおろし出家の姿をすることといわれる。また、特に1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦後男女平等を謳う日本国憲法が発布され進駐軍の意向で儒教的な男尊女卑の考えが否定されると男子に成ることで成仏できるのではなく、成仏したことを男子の姿で表したといったように解釈が変更された』ともあって、呆れて最早、口も開かない。まさか、このウィキに歴史的解釈過程に戦後部分までも記載があるとは、およそお釈迦さまでも気がつくめえ、と私は思うのであるが、如何?

 なお、本記載の三症例は、何らかの目的を持った作為的な男女交換詐術でないとするなら、私は以下のように推測する。

 

①やな(女子)のケース

●満二十四歳で男性化した。この時、鬚が生えており、胸も女性乳房化が全く起らず、男性と全く変わらなかった。

☆髯の発毛も貧弱な乳房も必ずしも女性として異常とは言えない。

●幼少期より外生殖器の形状が普通の女児とは異なっていた。

☆会陰があるように見えたが、陰核様部分が非常に突出して視認出来たものと推測される。

●性格は柔和で極めて女性的ではある

☆これは女児として養育したことに拠るものと考えてよかろう。

★髯・乳房未発達という現象が突如この年齢で起こったという風には読めず、無月経であった可能性が高いとすれば尿道下裂や停留睾丸を伴った男性仮性半陰陽と考えられ、また実は単に尿道下裂や停留睾丸の症状をもった真正男児(これらは必ずしも男性仮性半陰陽に特異的症状ではない)であったものを女児と誤認していたものとも思われる。

 

②喜之助(男子)のケース

●満十九歳で女性化。

●男性の外生殖器が変化して女性の外生殖器になった。

☆この「變じて」が疑問で、陰茎はあったがそれが脱落したのだとすると、これは壊疽や腫瘍による脱落と潰瘍化した外陰部が会陰に見えただけで、半陰陽ではなく梅毒などの重い性感染症の末期なども疑われる。

●生まれつき、女性的な印象を与える男性であった。

★但し、③の後に「是等は最初陰所甚痒く、終に男性しぼみ落し女性と成りし由」とあることから、これはやはり、生殖器全体に激しい掻痒感が生じた後、陰茎が著しく収縮して脱落した、ということらしい。③のように後も女性として生活したといった記載がない点では同性愛者の真正の男子で、性感染症による予後の悪い陰茎の壊死(陰茎の癌はすこぶる稀)であった可能性も高いかも知れない。

 

③名不詳の中小姓(男子)のケース

●満二十四歳で女性化。

●②と同じく、生殖器全体に激しい掻痒感が生じた後、陰茎が著しく収縮して脱落した。

●暫くして、子を産んだ。

●③と同じく、生まれつき、女性的な印象を与える男性であった。

☆この場合は陰核が非常に肥厚した突出型であったに過ぎず、半陰陽でさえなく、男児として女児を誤認し続けていただけの可能性もないとは言えない。

 

・「文化寅年の夏」底本で鈴木氏が「卷之七」の執筆推定下限を文化三(一八〇六)年夏とする根拠である。

・「肥前國天草郡大浦村」「肥後國」の誤り。現在の熊本県天草郡有明町(まち)大浦。

・「常にかわりし」底本は『衍カ』と右注する。事実、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではこれがなく、『陰戸の肉幼年より常にかはりしが』である。訳では省略した。

・「實上りして」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『突立して』。「さねあがり」の読みは私の推測。「実(さね)」は陰核の隠語である。

・「尤其質和らかにて女の樣にも有し」これはその男根様に突出した部位の「質」(女性生殖器の陰核のように柔らかで女性のそれがただ大きくなっただけのような感じという謂い。陰核の大きさには個人差があり、非常に肥厚していたり、陰茎並みに肥大する場合もままある)というではなく(そう思わなかった方のために一言言っておくと、私は愚かにも初読時にそう誤読しかけたことを自白しておく)、後述される「性質」の謂いで、性質や立ち居振る舞いは女のようにも見えたが、の謂いである。

・「髮」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も同じであるが長谷川氏はわざわざ『底本のまま』と注記されており、私はこれは「髯」(髭・鬚)の誤字と断じ、そう訳した。

・「例の留守居廻狀」江戸藩邸にあるそれぞれ藩の留守居役が、本国各藩に対し、公私雑多な種々の情報を報告回覧させた文書。公的には、幕府から命じられた役や朝廷からの褒賞、各大名の参勤交代状況や慶弔の報知、自藩内で起こった各種災害などの被災状況の対処報告といった政治的社会的な重要度の高いものから、留守居役のルーチン業務の記録である日記や手紙類、果ては情報交換のために行われた宴会の案内状の転記に到るまで、様々なものが記されていたらしい。そこにはこうした卑俗の噂話に類したものも頻繁に記されていたのであろう。

・「京童のたわ事」京童、京童部(きょうわらわべ)、京雀は京の若者たちで、京都市中の物見高くて口さがない若者どもという卑語で、その戯言、流言飛語。

・「金澤」呼び捨てであるが、ここまでの「耳嚢」には当該者はいないが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では実は冒頭「廿六歳にて男子に成しよし。」の後に、『營中の雜談、世人も是を口ずさみしが』(正字化して示し、ルビは省略した)とあり、関東郡代の下役を勤めたという彼、その語るデーテイルが異様に細かく正確ところからも、その城中に於ける談話者の中の相応の幕臣クラスの一人であることが分かる。

・「下總の國印旛郡大和田村」印旛郡に大和田村は発見出来ない。下総国千葉郡大和田村なら存在した(現在の千葉県八千代市南部にあった大和田町附近)。岩波版長谷川氏注には、『また香取郡にも大和田村あり、下総町大和田。千葉・香取両郡とも印旛郡に隣接』するともある。香取郡大和田村は下総高岡藩領内であるが支配者は不明で、現在は成田市大和田。

・「森川肥後守」岩波版長谷川氏注によれば、次の「由田與十郎」が大番勤務の時期の大番頭は下総生実藩第七代藩主森川俊孝(延享元(一七四四)年~天明八(一七八八)年)で、大番頭に任じられのは明和九(一七七二)年六月(ウィキの「森川俊孝」のデータも参照した)。

・「由田與十郎」前注長谷川氏のデータ以外は不詳。……しかし気にはなりますな、だって彼の中小姓でしょ? 女になったのは……。その「彼女」が産んだ子の父っていうのは?……

・「中小姓」諸藩の職名の一つ。小姓組と徒士(かち)衆の中間の身分に当たり、主君に近侍して雑務を勤めた小姓組に対し、主君外出の際の供奉や祝日に於ける配膳・酌役などを勤めた。

・「氣分性質の如く」底本傍注は「氣分性質の女如く」の脱字かとし、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も『気分・性質の女如く』とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

  変生男子(へんじょうなんし)また変生女子(へんじょうにょし)の事

 

 文化三年の夏、肥前国天草郡(あまくさのこおり)大浦村嘉左衛門娘、やな女(じょ)と申す者、二十六歳で男になった、とのこと。

 このやな女と申す女は幼少の砌より会陰の肉の附き方が、これ、普通の女児のそれとはかなり違(ちごう)ていたが、年を経るごとに核(さね)が見るからに、これ、にょきにょきと伸び上がって参り、この二十六の当時は、これ、全く男子と変わらぬ姿となっておった由。

 尤も、女児として育てられて御座ったによって、その気質は、いたって和やかにして、まさに立ち居振る舞いだけは女のようででもあったが――何より――髯も生えるわ――乳も一向に張ることものぅ全く以って厚き洗濯板にて――男と変わること、これ、御座ない。――

 ………………

と申す話を、さる雑談の折りに聞いたが、ある御仁は、

「……それはさしずめ、例の留守居廻状(るすいかいじょう)なんどに流言飛語として記された類いか、はたまた、口さがない京童(きょうわらわ)の戯(ざ)れ言(ごと)でござろうが。……」

と嘲って嗤(わろ)うたところ、座中にあった金沢何某(なにがし)殿、これらの話を聴いて、

「……いや、このようなことは、これ、あるはずもないことと断ずること、これ、出来ざるものにて御座る。……下総国印旛郡(いんばのこおり)大和田村の喜之助と申す者、二十歳(はたち)の折り、男根の変じて女根(にょこん)となったるをば、某(それがし)、関東郡代方(がた)を勤めて御座った折り、きっと事実と、これ、聴いて御座る。」

と申したを、またそれを引き継ぐように、同座致いて御座った石川何某殿も、大御番勤めであった頃の話として、

「……森川肥後守殿の組に属する由田与十郎(ゆたよじゅうろう)殿の召し仕えの中小姓(ちゅうごしょう)で――名前は失念致いて御座るが――二十五になってから突如、女子(にょし)と変じ、暫く致いた後には――子さえ産んだ――という事実を拙者も存じておりまする。」

 ………………

 これら二人の話を今少し訊いてみたところが、この変生女子(へんじょうにょし)の二名については孰れも、最初、陰部がはなはだ痒うなったかと思うと、しまいには男根が萎んで脱落致し、そのまま跡が縦に割れ、女根(にょこん)を形作ったとの由で御座った。

 また両人の話はやはり全く同じく、孰れも生まれつきの気性や性分は、もともと女の如く妙に和やかな人物では御座った由も附言致いた。

 造化の妙変妙異の中には、これ、かかることも、あるのであろう。

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