鬼城句集 秋之部 秋大根
秋大根 ひげなくて色の白さや秋大根
[やぶちゃん注:「秋大根」晩夏から初秋に種を播き、晩秋から初冬にかけて収穫する大根で、品質・収量ともによい。本邦産のダイコン(双子葉植物綱ビワモドキ亜綱フウチョウソウ目アブラナ科ダイコン
Raphanus sativus var. longipinnatus)の品種には春大根・夏大根・秋大根・冬大根と季節に合わせた品種があり、前二者は辛みが強く、後二者は甘みが増す。それぞれの品種には以下のような系統がある。
・春大根~亀戸系・二年子系(二年子・時無し・若春)
・夏大根~美濃早生系
・秋大根~宮重系(宮重総太・丸尻)・練馬丸尻(秋づまり・大倉・高倉)
・冬大根~練馬中太系(都・三浦・新三浦)
参考にした「金沢市中央卸売市場」公式サイトの「青果雑学」及びウィキの「ダイコン」に拠れば、原産地は地中海地方や中東と考えられ、古代エジプト(紀元前二二〇〇年)で今のハツカダイコン(Raphanus sativus)に近いものがピラミッド建設の労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後、ユーラシアの各地へ伝わった。日本には中国から弥生時代には伝わっており、「古事記」『古事記』の仁徳天皇の歌垣に(歌謡番号五二。引用は角川文庫武田祐吉訳注版を用いた)、
つぎねふ 山背女(やましろめ)の
木鍬(こくは)持ち 打ちし大根(おほね)
根白(ねじろ)の白腕(しろただむき)
纏(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ
と既に女性の美しい白い腕に譬えられている(大根を「だいこん」と発音するようになったのは室町中期でそれまではこの「おほね」が呼称であった)。平安時代中期の「和名類聚抄」巻十七菜蔬部には、園菜類として「於保禰(おほね)」があげられている。ちなみにハマダイコン(Raphanus sativus var. longipinnatus)またはノダイコン(ダイコンの野生種とさえるが前者ハマダイコンと同種ともする)と見られる古保禰(こほね)も栽培され、現在のカイワレダイコン(穎割れ大根・貝割れ大根:ダイコンの発芽直後の胚軸と子葉を食用とするもの)として用いられていた。江戸時代には関東の江戸近郊である板橋・練馬・浦和・三浦半島辺りが特産地となり、その中で練馬大根は特に有名であった。本邦では古来から、貴重な米を補うために主食の分野にまで大根が進出しており、明治後期の日本人は現在の三倍の量の大根を摂取していたとされる。当時は「食べる薬」として重視した野菜でもあり、現在でも作付面積・収穫量・消費量ともに世界第一位である。鬼城の句は言わば、「古事記」を濫觴とする女性性のシンボルとしてうまく諧謔化していると言える。]
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