岩魚――哀しきわがエレナにさゝぐ―― 萩原朔太郎
岩魚
――哀しきわがエレナにさゝぐ――
瀨川ながれを早み、
しんしんと魚らくだる、
あゝ岩魚(いはな)ぞはしる、
谷あひふかに、秋の風光り、
紫苑はなしぼみ、
木末(こずゑ)にうれひをかく、
えれなよ、
信仰は空に影さす、
かならずみよ、おんみが靜き額にあり、
よしやこゝは運くとも、
わが巡禮は鈴ならしつゝ君にいたらむ、
いまうれひは瀧をとゞめず、
かなしみ山路をくだり、
せちにせちにおんみをしたひ、
ひさしく手を岩魚(いはな)のうへにおく。
――一九一五、八、八――
[やぶちゃん注:太字「えれな」は底本では傍点「ヽ」。初出は『異端』創刊号(大正三(一九一四)年九月号であるが、掲載誌は筑摩書房版全集第三巻「拾遺詩篇」初版時は入手出来ず、残っている筆写データから起こされたものである。にも拘わらず、校訂本文は「おんみが靜き額にあり、」を「おんみが靜けき額にあり、」とし、「よしやこゝは運くとも、」を「よしやこゝは遠くとも、」と訂している。後者は判るが、前者は肯んじ得ない。
朔太郎永遠の憧れの人「エレナ」(彼女の後の洗礼名。受洗は大正三(一九一四)年五月十七日)は、朔太郎の妹ワカの友人で本名馬場ナカ(仲子とも 明治二三(一八九〇)年~大正六(一九一七)年五月五日)。朔太郎が十六歳の頃に出逢い、十九で恋に落ちた。後、ナカは明治四二(一九〇九)年に高崎市の医師と結婚して二人の子も儲けたが、結核に罹患、転地療養の末に没した。朔太郎の大正二(一九一三)年四月製作の自選歌集「ソライロノハナ」を捧げたヒロインである。彼がエレナを見舞って平塚の病院を訪れた時、エレナは一と月前に既に天に召されていた。その折りの悲傷の一篇「平塚ノ海」(「ソライロノハナ」所収)は既に掲げた(但し、「ソライロノハナ」のクレジットは馬場ナカの死との大きなタイム・ラグがある。則ち、「エレナ」とは昇華された馬場ナカの朔太郎だけのファム・ファータルなのである。]