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2013/11/17

ブログ・アクセス520000突破記念 新月 火野葦平

[やぶちゃん注:本テクストは「河童曼陀羅」完全テクスト化プロジェクトの一つであると同時に(ここのところ更新を怠っていた)、ブログ・アクセス520000突破記念テクストとしても公開した。藪野直史【二〇一三年十一月十七日】]

 

   新月   火野葦平

 

 或る義理がたい一ぴきの河童が、飛沫をちらしてがうがうと鳴る溪流のほとりにたたずんで、すつかり途方にくれてゐた。うつろに眼をみはつてぼんやりと水面をみつめてゐる。その靑褐色のとがつた細い顏は苦痛のいろをたたへ、ときどきいらだたしげにきちきちと嘴を鳴らし、甲羅の音がするほど深くためいきをついた。ひどく疲れてゐる樣子で、かたはらの岩のうへにおいた濡れ藁の籠と、しだいに酉にかたむいてゆく夕日とをなんども見くらべては、かくしきれぬ焦躁の色をあらはした。抱いてゐる瘦せた膝頭はすりむけて血がながれてゐるが、ぬぐふ氣力もない樣子である。膝頭のみでなくて、身體の數箇所に怪我をしてをり、背の甲羅も一枚剝げおちてをれば、皿をつつむ毛もすりきれて、使ひ古したたわしのやうになつてゐた。釣瓶落(つるべおと)しの夕日の速力に、河童の焦躁はさらにはげしくなるやうに見うけられた。……

[やぶちゃん注:「たわし」は底本では傍点「ヽ」。以下、同様。]

 しばらくつづいた雨のために、千軒嶽に源を發する目痛川(めいたがは)は三倍の水量となり、ながれは五倍のはやさとなり、曲り角では岩をけづりとつてゆくやうな激湍(げきたん)のなかに魚をとることは、さすがの手練(しゆれん)の河童にとつても、十倍の困難さとなつてゐた。ふだんでさへ、斷魚溪(だんぎよけい)などと人間の名づけてゐる急滯であるから、このすさまじさのなかにあつては魚とても粉碎されてしまふやにおもはれる。とはいへ、この溪流の唯一の淵となつてゐる中流のよどみに避難してゐる魚類もすくなからずあつて、その底までもひびいてくる川のとどろきにおびえながらも、水量の減退を靜かに待つてゐた。このやうな場所を河童が見のがすはずはない。ながくこの溪流を棲所(すみか)としてゐる河童には、一切の外界の影響にともなふ環境の變化について、知るところは十分であつた。かくて、すでに彼は數十日前から、水中に潛行して、魚類を攻撃しつづけてきた。しかしながら、彼の目標がつねに鮒(ふな)に集中されてゐるために、彼の事業はただちに困難に逢着した。鯉、鮎(あゆ)、鮠(はや)、岩魚、さては鯰(なまづ)山椒魚(さんせううを)まで、この避難所にむらがつてゐたが、鮒の數はさして多くはなかつた。さうして、その數すくない鮒は河童のために、毎日五ひきづつ捕獲され、いつか淵からほとんど姿を消すにいたつた眼を光らせた河童が頭の皿の緒をひきしめながら水中を游弋(いうよく)してくると、多くの魚たちは恐怖のために右往左往する、陽の光がとほしてきて幻燈繪(げんとうゑ)のやうな紺碧にいろどられた水中を、赤、靑、黑、とりどりの魚たちが花びらをまきちらしたやうにはげしく旋囘した。その騷ぎに、水藻は大風に吹かれたやうにざわめきうねつて搖れなびいた。魚の口からはきだされる白い水泡がくるくると舞ひながら、數珠(じゆず)つなぎになつて水面へのぼつてゆくが、水中の活劇のためにかきみだされて、水晶玉をふきあげたやうに散亂した。魚たちは危險からのがれるために淵を出ようとはかつたけれども、鱗をはぎ、肉をくだいてしまふやうな急流にはでることができず、あまりひろくない淵のなかだけを必死になつて逃げまはるのが關の山であつた。さうして、幾ひきかの不幸な魚が河童の食餌となつた。

[やぶちゃん注:「千軒嶽」先行作にも出るが不詳。そこを水源とする「目痛川」も当然、不詳。]

 この恐怖は日課となつて、魚たちを襲つた。ところが、おなじ慘劇が數日くりかへされたのち、魚たちは河童の來襲についての不思議な特徴を知るにいたつた。河童の來襲の時間もほぼ一定してをり、且つその攻撃もまことに整然とした規律にもとづいてゐることがわかつた。河童は淵の魚顆のうち、ただ鮒にだけしか眼をつけなかつたし、それも五ひきを得れば、見むきもせずにさつさと離水してしまふのだ。しかも、彼はそれを自己の食糧としてゐる樣子はなく、岸の岩のうへにおいた濡れ藁の籠のなかに五ひきの鮒を入れると、それを片手にぶらさげて、いづくにか立ちさつてゆくのであつた。さうして、一日に一度しかこないので、河童の去つたあとの淵には安堵の空氣がただよひ、河童の規律ある不思議な行動についでのはてしない論議がはじまるのであつた。鯉、鱸(すずき)、岩魚、山椒魚など、おのおのの立場からさまぎまの解釋をこころみ、したりげに自説を主張したりもしてみるのであるが、所詮は揣摩臆測(しまおくそく)にとどまつて、たれもが肯定できるやうな説をなすものはなかつた。

 このやうな論議のいかんにかかはらず、ただひとつ否定することのできない眞實は、毎日、五ひきの鮒のいのちが犧牲にされるといふことである。最初の驚愕にひきかへ、その理由は不可解にしろ、河童のねらふところはただ鮒ばかりであると却つて、他の魚たちはやうやく愁眉をひらいた。いつ氣がかはるかも知れないといふ不安はあるにしても、まづさしあたつて危險はないとかんがへるにいたつた。そこで河童の足音がきこえてきても、魚たらは以前のやうに狼狽しなくなつたし、なかには好奇心をもつて河童の行動を觀察する餘裕のあるものもでてきた。これに反して、鮒たらの恐怖と戰慄とが絶頂に達したことはいふまでもない。おそろしい河童の唯一の目標が日分たちであるときづいたときの鮒たちの驚愕を、なんにたとへればよいのであらうか。毎日仲間の五ひきづつが減つてゆく。さうして、河童の來襲がつづくかぎり、いつの日にか、仲間が全滅することは必至の運命であつた。今日一日をまぬがれたものも、明日のいのちを約束することはできない。仲間の多いあひだは、生存の公算も多かつたが、しだいに仲間が減るにしたがつて、鮒たちの恐怖はいよいよふかまり、もはや絶望となつた自分のいのちをいかに處理すればよいか、茫然自失して、なにをかんがへる氣力もなく、ただ不意昧に水に浮いてゐるのみであつた。強力な河童にたいしてなんら防禦の手段はなかつた。攻撃することなどおもひもよらず、ただ遁走して一身の安全をはかるほかはなかつた。多くの他の魚たちとて、大同團結してみたところで、蟷螂(たうらう)の斧にすぎない。しかしながら、鮒の危險にたいして、同情してゐるのやら、面白がつてゐるのやら、とりまいて傍觀してゐる他の魚たちの態度に、鮒ははげしい憤怒を感じてゐた。いかに強力とはいへ、相手は一ぴきではないか。平和のときばかりが友だちではない。危險のときに助けあはなくて、なにが友だらか。數千の魚が團結してたたかへば、なかには山椒魚や鯰のやうな強いものもゐるのだから、闖入者(ちんにふしや)をたふすことができはしないかと、ときに口角に泡をふいて難詰してみたこともあつたが、自分たちにはいまのところ直接の不安はないと見きはめてゐる他の魚たちは、他人のために無駄な抵抗をして怪我でもしてははじまらぬとうそぶいてゐるばかりであつた。さうして、確實に一日に五ひきの鮒が滅つていつた。やがて、鮒のすがたが點々とまばらになつたとき、つひに、のこつた鮒たちは絶望の勇氣をふるひおこして、この淵から脱出をした。しかしながら、それは死の淵から、あらたなる死のながれにでたにすぎなかつた。いつ減るともみえぬはげしい本流は、まるで鋭利な刀物を間斷なく下流にむかつて放出してゐるに似て、淵からでた鮒を容赦もなく切斷した。このやうなあからさまな危險にもかかはらず、鮒たらはつぎつぎに淵をでた。さうして死んだ。他の魚たらはその無謀を笑つたけれども、鮒たちの悲しさは、坐して瓦のごとく死するよりも、萬一をたのんで淵をでるよりほかはなかつた。さうして、その冐險ののちに、脱出に成功し、どこか岩と岩とのあひだのささやかな場所に安住の地を見いだした鮒も、わづかならずあつた。

 淵には怯懦(きようだ)なる鮒のみのこり、河童からさらはれた。淵から鮒のすがたが減ると、自然の結果として、はじめのほどはみじかい時間にさして苦勞もなく五ひきの鮒を得てゐた河童が、しだいにその日課に困難の度を加へてきた。五ひきを得るのにながい時間を要するやうになり、はてははたしてその五ひきを得ることができるかどうかとあやぶまれるやうな日が重なつた。明瞭に河童は狼狽し、いらだたしげに水中を游弋しはじめた。焦燥にみちた眼をせはしげに八方にくばつて、狂氣のごとく右往左往した。そのときには、攻撃の規律はみだれ、戰鬪の樣式も昏迷してゐた。鮒のたくさんゐるあひだにはのんきにしてゐた他の魚たらは、その河童の狂亂した行動にふたたび不安がきざし、とつぜん攻撃目標がかはるのではないかと、戰々兢々とするやうになつた。河童ににらみつけられると氣が遠くなるおもひがした。ふたたび、魚たちは河童の來襲とともに、みづからのいのちをまもるために、淵中にあぶくを水晶玉のやうにまきららしながら、逃げまはるやうになつた。しかし、河童は氣のかはる樣子もなく、腹だたしげににらみつけはするが、鯉にも、岩魚にも、鯰にも手をふれようとはしなかつた。さうして、ひどく落膽した樣子で、淵を出、力なく空の濡れ藁籠をさげて、憤然と去つていつた。

 ところが、脱出した鮒たちの安堵も束の間であつた。それは淵にたいして河童を斷念せしめるために、狡猾(かうくわつ)な一ぴきの鯰が鮒の脱走をかたり、それらのすくなからぬものが棲息してゐるとおもはれるいくつかの岩の壺を河童に教へたからである。それをきいて、河童は元氣を快復したが、それらの鮒にたいする攻撃は、淵でのやうになまやさしいものではなかつた。するどい刀物を放出するやうな激流に突入することは、水棲を習慣とする河童とて、朝飯まへといふわけにはいかなかつた。長年の手練にものいはせて、光線の速さで水の劍をよこぎつて岩壺に達し、もはやのがれ去ることのできない鮒をとることができたが、不覺にも身には各所に傷を負うた。足をくじいたり、膝をすりむいたり、折角とらへた鮒をにがしてしまつたりした。あまりの水流の激しさにたたきつけられ、急流のしぶきにはねあげられて、昏倒したことも、一度や二度ではなかつた。大切な甲羅も一枚、急流に拉(らつ)し去られた。あまりのつらさに、おもひだしたやうに以前の樂な淵をおとづれてみても、もはや淵には一ぴきの鮒も見いだすことはできなかつた。ひさしぶりの河童の出現に、てつきり氣がかはつたのだと早合點して、魚群は逃げまどひ、かはりはてた河童のすがたを見て、復讐をおそれた饒舌な鯰は、水草の奧ふかくにかくれてぶるんぶるんと顫へてゐた。淵に鮒がゐなければ、いかに困難であらうとも、また激流とたたかふほかはなかつた。彼は傷ついた身體をひきずり、がうがうと鳴る溪流の岸に立つて嘴をかみ、らんらんと光る眼に血ばしつた決意のいろを漲らせて、またも、奔騰する激湍にまつきかさまにおどりこむのであつた。かくて、連日、このやうな悽絶の苦行がくりかへされ、河童はやうやく疲弊をおぼえ、悔恨と焦燥の面持をたたへて、溪流のほとりにぼんやりとたたずむ日が多くなつた。……

 さて、われわれは冒頭で見た、水遵に傷ついた膝を抱いて、うつろな眼をみはり、苦惱のいろをうかべ、ときどきいらだたしげにきちきちと嘴を鳴らし、夕日と濡れ藁籠とを見くらべながらいよいよ狼狽し、つかひ古したたわしのやうに毛のきれた皿を振りながら、ふかいためいきをついてゐる河童のすがたにかへつてきたのであるが、さらにそれならばなぜ彼がそのやうに力をおとしたすがたで途方にくれてゐるのか。またなぜ彼はそのやうに一日に鮒を五ひき得ることを絶對の日課にしなくてはならなかつたか。また、冒頭に「或る義理がたい一ぴきの河童」と書いたが、しからば彼がどのやうに義理がたいのであるか。それらのことについて語らねばならない。

 四十日ばかり前のことである。彼はひとつの失策を演じた。下流の俗に佛土堤(ほとけどて)といはれてゐる場所で、人間を水中に引きこまうとこころみて、あべこべに陸にひきあげられた。なんといふ協力無雙な人間であつたことか。皿に適度な水をたたへてゐるときには、河童は自分の膂力(りよりよく)に絶大の自信を持つてゐて、牛でも馬でも水中にひきいれることは易々たるものである。引き綱にまきつけられ、かへつて馬からひきずられて不慮の災厄にあつた仲間もゐたけれども、綱に手足をからめぬ注意さへしてをれば、馬一頭くらゐひきこむのはさして困難ではなかつた。まして人間ひとりくらゐは馬に比べればものの數ではない。雨もよひの朝まだき、河童は土堤を通りかかつたひとりの男の尻子玉をねらつて、水中から手をのばし、無造作にうしろから片足をつかんで、水中へひきいれようとした。すると、二三歩はついてきた人間の足が水際でぴたりととまり、いきなり首筋をつかまれるとおどろくべき力でずるずるとあべこベに水中からひきずりあげられた。たしかに油斷であつた。しまつたとおもつたときには、身體は宙に浮いてゐて、空と川と木と草と人間の顏とがくるくるとが走馬燈のやうにまはつて、眩暈めまひ)を感じると同時に、したたかに地面にたたきつけられてゐた。皿に水さへあつたならばこのやうにあつけなく敗北を契すことはなかつたのだが、あつとおどろいた拍子に水がながれでたとみえて、身懷中からまつたく力といふものが拔けてゐた。氣が遠くなり、氣づいたときには荒繩でぐるぐる卷きにされて、厩舍(うまや)の片隅に投げだされてゐた。嘔吐(おうと)をもよほす臭氣がただよひ、馬糞のなかにころがされてゐると知つて、河童はおもはず無念の吐息がでた。百姓家らしく、鍬(くは)、鎌、犂(すき)の類が壁に立てかけられ、天井には黄色い煙草の葉がずらりと干しならべてあつた。やかてどやどやと五六人の人間がやつてきたが、手に手に鎌や棍棒の類を持つてゐて、河童をとりまきながら、こいつがいつも禍(わざ)をしよつたんだな、逃がすな、うち殺してしまへ、などと口々に喚(わめ)いてゐた。子供や、女もゐた。この家の家族なのであらう。おどろいた河童は必死になつていのち乞ひをした。こののちはけつして人間にたいして危害を加へないといふことを、何度もくりかへした。人間たちがはかばかしく返事をしないので、必死となつた河童は、もし自分のいのちを助けてくださるならば、貴家において魚に不自由をきせることはしない、家族が五名をられるやうであるから、明朝より毎日魚を五ひきづつ獻呈することにしたい、なにとぞいのちばかりはお助けねがひたいと、懇請した。この一瞬にかかつてゐる生命の危險に、河童はわれながらあさましいとおもふほどの卑屈な態度で歎願したが、いまは恥も外聞もかんがへてをられなかつた。いのちが惜しきのでたらめだらうといふ人間の疑惑をとくために、河童はけつして噓をつかないといふことを躍起(やくき)となつて力説してみたけれども、所詮それとて證明しようもない辯解としか人間にうけとれる筈もなかつた。しかしながら、この哀れな河童のすがたはすこしく人間の心を動かした。この人問は強力無雙であつたが、人情もろい一面も持つてゐたらしく、河童の條件を信用したわけではなかつたらうが、その哀願をききいれて、繩をほどいた。河童はうれしさのあまりに、ぴよこんと飛びあがり、おもはず土下座して人間を拜んだ。その恰好がをかしかつたか、人間たちはどつと笑ひくづれた。鼻孔の巨大な強力の百姓は金壺眼(かなつぼまなこ)を細めて、微笑をふくみながら、これからはけつしてこの村の人間に手をだしてはいかんぞと威嚴を示していつた。その銅鑼聲(どらごゑ)は胸の奧までひびいて、河童はいくどもその旨を宣誓した。もう躇つてよいといはれて立ちさらうとすると、人間はよびとめ、魚をくれるといふのはほんたうかと念をおした。相違なき旨をこたへると、なんの魚かと人間は問ひかへし、鮒が食ひたいな、鮒がええと子供がさけびだして、結局五ひきづつ毎朝とどけるといふ確約をした。いのちを助けられて、鮒の五ひきくらゐの禮ですめばたやすいことだし、河童としてはこの取引はあたかも大勝利のやうなつもりで、その家を辭したわけであつた。ただ歸るとき、河童は人間にむかつて傳説の掟のきびしさと約束とを語り、河童といふものは刀物をきらふのである。自分は毎日魚をとどけにくるが、けつして自分の眼前に刀物を見せないでほしい、自分は約束した以上、一年でも二年でも、貴家一代の間でも鮒をおとどけするが、刀物を見たときには傳説の掟にしたがはねばならぬので、その日からやむほかはない、とつけ加へた。人間がそれを承認したので、河童はすこし水をもらつて頭の皿にそそぎ、やうやく力を快復して、水底にかへつた。おもはぬ不覺によつて、はたさねばならぬ負擔ができたが、いのちのあつたことにたいするよろこびにくらべればなにほどのことでないとおもつてゐた。そのことが非常なる認識不足であつたことに氣づかなかつたのは、もともと河童といふものが暗愚とおひとよしの生れつきのせゐであつたかも知れない。

 翌朝、半信半疑であつた人間は、裏庭の井戸端にでてきて、河童が約束をまもるものであることを知つた。うちあはせたとほり、井戸の横にある柿の木の枝に籠をつるしておいたが、そのなかに竹の葉にのせられた新鮮な五ひきの鮒が入れられてあつた。暗いうちに入れて歸つたものであらう。數町はなれた川からの道に、かすかに水かきのある足の往復した跡がみとめられ、やや靑昧をおびて濡れてゐた。

 翌朝も、次の朝も、その翌朝も、まつたくおなじことがつづいた。この一家は鮒にめぐまれ、家内中で、煮たり燒いたりして食べ、近所にもわけたり、ときに賣つたりして、悦に入つた。ほんたうに約束をまもるなら、五ひきといはず十びきに、いや十五ひきにしとけばよかつた。どうせ河童のことだから五ひきとるも十きとるもおなじことだらうにと慾ばつたことをかんがへたり、いつたりして笑つた。それからの毎朝、一日も缺けることなく、柿の木の籠は五ひきの鮒にみたされて、河童が信義にあつき動物であることをあきらかにした。

 二百十日の風がことなくすぎると、近年にない豪雨がこの近郊をおとづれた。雨はところによつては崖をくづし、家をたふしたりしたが、目痛川(めいたがは)の水量を三倍にして、中流から上流にかけての溪谷はすさまじい急湍となつて、日夜、がうがうと鳴つた。このやうな自然の變貌にあつて、河童の鮒をとる作業がしだいに困難をきはめるにいたつた事情は、前述したとほりである。しかしながら、その河童の苦衷(くちゆう)といふものはまつたく人間にはつたはらなかつた。なぜなら、人間は天候や作業の困難などには無關係に、あひもかはらず、正確にさしいれられる五ひきの鮒に滿足してをつたからである。したがつて河童への同情などわくわけもなく、また感謝の念すらも持つてゐなかつた。いのちを助けた當然の報酬とおもひ、むろんその鮒の五ひきがいかなる惡戰苦鬪の結果得られたものであるかどうかといふやうなことは、さらに注意をむける筈もなかつた。傷つき、疲れ、いまは生命を賭する冐險を連日くり返すのでなければ、五ひきの鮒を得ることば至難になつたのに、人間は朝になつて籠をおろしてみて、このごろの鮒は生きがわるくなつた、死んでゐるのや鱗のはげたのがある。河童のやつ、だんだん不誠實になりだした、などとつぶやくのであつた。家内の着たちが語りあつてゐる。河童といふものは案外律儀だねえ。もうあれから何十日になるかしらん。まだ五十日にはならないよ。一年でも、二年でも、十年でも、一代でもなんて、えらさうなことをいつてをつたから、まづ鮒に不自由はないね。鮒ばかりで食ひ飽いたな。今度ひつつかまへて、鯉とか、鮠とか、ときどき變へるやうにいつてやろか。どうせ、河童だから魚をとることなんてわけないだろ。たつた五ひきにせずにふやすやうにならんもんかな。お父うが河童をつかまへたとき、河童がお父うの家來にしてくれというたといふのはほんたうか。うん、河童は自分より力が強いもんはをらんとおもつとつたんぢやな。お父うがひきずりあげたら、こんな力の強い人にははじめてであうた、今日から家來にしてくれ、毎日、魚はなんでもさしあげるといひをつたよ。そんなら、鮒五ひきくらゐぢやつまらん。今度あうたら毎朝鮒五ひき、鯉五ひき、鮠五ひきにしてもらうておくれや。うん、そんなこたわけない。お父うがつかみころすぞといへば、河童奴、いのちが惜しいからなんでもききをるわ。それから家族たちは賤しい慾ばつた顏をして大きな聲で笑ふのであつた。河童はそれをみんなきいてゐた。そして、齒を食ひしばり、憤りと悲しみと悔いとの錯雜した感情をいだいて、動搖する心とたたかつた。自分の苦心がまつたく知られないことはともかくとして、人間の得手勝手な放言にがまんならぬおもひがした。あのときはたしかに油斷のために、おもはぬ不覺をとつた。しかし正常に準備をして對等に立ちむかへば、人間に敗北する筈はないのである。たとへ強力無雙といへども、頭の皿に水をたたへ、菱の實をふくんでむかへば人間の膂力の限度は知れてゐる。その後、彼をうち挫いた人間の力のほどをひそかに鑑定してみれば、常人よりほんのすこし強いといふだけであることがわかつた。河童はかくて悔恨の臍(ほぞ)をかみ、とりかへしのつかぬ不覺に地團太をふむのであつた。どんなに苦勞をして五ひきの鮒をとどけてゐるかも知らずに太平樂ばかりいふ人間に腹がたつて、いつそ、もうやめてやらうかとかんがへてみたこともないではなかつたが、そのかんがへを惡魔の思想であるとして、河童は直ちに否定した。まこと河童こそは愚直きはまるものであり、また傳説の掟こそは鋼鐡の規律であつた。いかなることあるも、約をたがへるは河童の名譽を失墜するものであるとするこのやうな頑迷の一徹さは、傳説を偉大なるものとして生活の方法に示唆をあたへることがあるかも知れぬが、河童が度しがたく愚直にしておひとよしであるといふ定説を否定することはできまい。人間にひつとらへられ、生命の危險に遭遇して約束をし、やうやく解放されてゐながら、その約束のためにより苦痛な生命の危險にさらされてゐる自分の立場に想到せず、いちづに傳説の掟に忠實ならんとしてゐるやうな河童を、暗愚の最たるものであると定義したのは人間の思想であつた。いづれにしろ、この河童の唯一の實踐の道は、つねに生死の巷を彷徨(はうくわう)してゐるやうな土壇場におかれてはゐたが、彼自身としてはその行爲そのものについての悔いはさらにないのであつた。かくて、いよいよ困難になつてゆく鮒捕獲のため、河童はますます苦境におちいり、疲弊は極に達し、全身傷だらけとなり、その後、甲羅は四枚もはげて、亡靈のごとく瘦せ衰へた。ただ執念の鬼となつて、鮒を追ひ、からうじて約のみはたがヘずにきたが、やがて、自分も死期がきたのではないかといふ不安に驅られるやうになつたのである。

 はじめのほどは意氣揚々と、五ひきの鮒を柿の木の籠に運んだが、いまは歩く氣力も衰へて、びたびたと足どりも弱くはかどらなかつた。このやうなときにも、まだ人間どもの太平樂と放言と不平とをきかなければならなかつたが、もはやそれにたいして憤りの心もわかなかつた。腰の蝶番も弱つて、がくんがくんと歩くたびにはづれさうになるが、鮒だけは落してはならぬと濡れ藁籠をしつかりと兩手で抱いた。自分のすがたを人間にさらすことを避け得たのはせめてものさいはひであつた。このときにもまだ河童は見榮坊の心を大切にしてゐたとみえる。

 やうやく、川の水量が減り、ながれも靜まり、水中にはいることが危險でなくなつたときには、河童の體力が衰へてゐた。元氣であつたならば、いまは五ひきの鮒をとることは易々たるものであつたのに、苦痛は以前にも増してゐた。氣ばかり焦つても動作がともなはず、眼前を泳ぐ鮒をつかむことができぬこともあつた。

 かつて淵のなかで河童に威嚇(ゐかく)された鯉や鮭や繪などが、いまは哀へはてた河童を嘲笑し愚弄するやうになつた。敏捷な彼等は河童がいかにくやしくても追つかけてくることのできないことを知つてゐたからである。河童はふと眩暈(めまひ)をおぼえ、人事不省になつて、水中をただよつてゐることがあつた。岩角に頭をぶつけてはつと氣がつき、氣がつくとうつろな眼で鮒をさがした。かういふ状態がこれ以上つづいたならば、河童は人間への約束をはたすどころか、肝心のいのちをも失つたであらう。しかしながら、よろこぶべきことには、哀れな河童が最後まで名聲を失はずにすむことのできるやうな事態がおこつた。

 或る朝、やうやくにして得た五ひきの鮒を濡れ藁籠に入れ、蹌踉(さうらう)足どりで河童が人間の家に近づくと、、井戸端の緣にきらりと光つたものがあつた。まだ暗く、晴れた夜空に、星とともに新月がかがやいてゐたが、その光が井戸端のうへにあるなにかに反射した。河童ははつとして立ちどまつた。眼をこらした。井戸端のうへのものは、あたかも空にある新月がそのまま影を落したやうにするどく靑く光つてゐた。傳説の掟のきびしさはたらちどころにあらはれ、心臟の冷えるおもひになつた河童は恐怖のあまりおもはず籠をとり落した。籠からをどり出た五ひきの鮒が五本の刀物のやうに新月の光をうけて靑くきらめいた。跛(びつこ)をひきひき、びたびたとぶざまな足音をのこして、河童はもときた道を一散にひつかへした。四枚も甲羅がはげおちてゐるので、走るたびにぎしぎしと背がいやな音をたて、すりきれた古たわしのやうな頭の毛がをどつた。河童は息もきれぎれに遁走しながら、寂寥(せきれう)と、悲哀と、忘我と、なんともいひやうのない錯雜した感慨につつまれながら、やうやく水底のわが家へ歸つた。絶叫したいやうな、消えいりたいやうな、とめどもない惑亂のうちに、耐へに耐へてゐた疲弊が一度にどつとのしかかつてきて、いつか昏々とふかい眠りに落らてゐた。

 夜が明けると、人間の家ではさかんな口論がはじまつた。長いあひだつづけられた河童の約束が破られたからである。柿の木の籠にははじめて鮒がはいつてゐなかつた。お父うは怒號し、その妻と子供とが泣き喚いた。鮒は家から一町ほど手前の道傍に散亂して發見きれた。河童がここまできてなにかにおどろいて逃げていつたことは、血のめぐりのわるいお父うにも理解された。巨大な鼻孔を鞴(ふいご)のやうに鳴らして、人間は運をとりにがしたことをくやしがつた。馬鹿なことをするやつらだといつて、その妻と子供とがおのおの五つづつ毆打(おうだ)をくらつて泣いた。妻と子供とが共謀して、井戸端のうへに刀物をのせておいたことはたちまち露見した。どうしてそんないらんことをするか、きさまらの了見がわからぬと、お父うはもはや明日から鮒のこなくなる殘念さで、いつまでも喚きちらしたが、妻と子との了見は明瞭であつた。はじめは鮒も食べられるし、面白年分であつたが、約をたがへず毎朝鮒がくるやうになると、しだいに薄氣味がわるくなつてきた。いはばお化けである河童が、夜ごとに家のかたはらまで忍んでくることをかんがへると、不氣味さが嵩じてきて、夜も眠れぬことがあるやうになつた。夜中になにか音がしても、河童ではないかとおもひ、外にある便所にゆきたくても怖くてゆけなくなつた。おとなしいやうでも河童のことだから、ふと氣がかはつてなにをしでかすか知れたものではない。暗いうちに魚をとどけにくる河童が、家のまはりを徘徊したり、家のなかを覗いたりしてゐることをかんがへると身ぶるひがした。さうおもかだすと、もう鮒どころではなく、河童の來訪をことはらねば、神經衰弱になつてしまひさうであつた。お父うに相談したところでききいれるわけがないので、恐れをいだく氣持で一致してゐた妻と子とが話しあひのうへ、お父うに内緒で、井戸端の上に包丁(はうてう)をのせておいた。いつか河童が約束をしたときに、刄物だけはごめんだといつたことをおもひだしたからである。さうして、河童の來訪がとまつたら、やつぱり河童なんて噓つきだと、罪を河童になすりつけるつもりでゐたのである。このことは子供が白狀したためにたちまちあらはれ、その後長いあひだ、お父うが妻と子の迂愚を罵倒する絶好の口實となつた。賤しい人間たちは路傍に散亂した鮒をひろつて食べたが、この河童の最後のおくりもののため、なぜか家内中ひどい腹下しをした。

[やぶちゃん注:「迂愚」「うぐ」と読み、物事に疎く愚かなこと。愚鈍なこと。また、そのさま。]

 水底では河童は昏々と眠り、夢なのか現(うつつ)なのかわからないやうな何日かをすごした。天候は快復してゐて、さしこんでくる光線はきらきらと水中に銀の幕をたなびかせ、靑々したゆるやかなながれに水藻がしづかにただよつて、木の葉のやうに魚たちが游弋してゐた。水面には落葉がしきりに降るらしく、光の玉が何百何千となくゆれうごいて水紋がしきりにひろがりちぢまり、ぶつかりあつた。鮠、鯉、鰻、岩魚などにまじつて鮒が泳いでゐたが、もはやどちらからも特別な考慮をはらふわけでもなかつた。長い髭をひねくりながら、鯰が穴からちよいとのぞいたり、のたりのたりとものうげに山椒魚が這ひまはつてゐるうへを、列をなして目高の一隊が雁のやうに通りすぎる。潺湲(せんかん)の昔は遠くかすかで、幻のやうな水底のうごきをながめながら、河童は寢そべつたまま、一切の記憶を喪失したやうな、ほうとした顏つきをしてゐた。滿ちたりたやうな、ときにもの足りぬやうな面持をたたへながら、河童の今囘の決心は、しばらく旅をしてみたいなどといふ、とぼけたことにすぎなかつた。

[やぶちゃん注:私も、この読後「しばらく旅をしてみたいなどといふ、とぼけたこと」を考えた……。]

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