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2013/11/25

耳嚢 巻之七 天理に其罪不遁事

 天理に其罪不遁事

 築土白銀町(つくどしろがねちやう)に多葉粉や次助と言(いへ)る者、年比(としのころ)三十歳餘にて五六年以前より追々に仕出し、近比は切子(きりこ)の三四人も差置(さしおき)て夫婦暮しにてありしが、文化二年の比、次助いさゝか煩ふて身まかりしに、妻も程なく果て其鄽(みせ)も仕舞(しまひ)、家財は店請(たなうけ)の方へ引取(ひきとり)し由。同町に三四郎といふ同在所の者なるが咄しける。右次助は勢州の者にて、三四郎とは同所の者也。十年以前友達と喧嘩をして相手へ疵付(きずつけ)、藤堂和泉守領分ゆへ、領主にて入牢(じゆらう)なしけるが、吟味中内濟(ないさい)とか事濟(すみ)て、次助は領分拂ひに成りしが、其時節相手は相果たり。領分拂(はらひ)に不成(ならず)ば下死人(げしにん)にも成(なる)しが、仕合成(しあはせな)る者と人の噂せし事也。然ども理不遁哉(のがれざるや)、夫婦共同時同樣に相果(はて)、其跡は望人もなきと語りぬ。

□やぶちゃん注
○前項連関:特になし。
・「天理に其罪不遁事」「てんりにそのつみのがれざること」と読む。
・「築土白銀町」旧新宿津久戸町から白銀町、現在の新宿区白銀町附近。現在は白銀町の北東が筑土八幡町で、ここには築土八幡・築土明神社地があった。
・「切子」煙草の葉を刻む職人。
・「店請」店請け人。店子(借家人)の身元保証人。
・「藤堂和泉守」明和七(一七七〇)年に第九代藩主となった藤堂高嶷(たかさと/たかさど 延享三(一七四六)年~文化三(一八〇六)年)の通称。
・「内濟」表沙汰にせずに内々で事を済ませること。
・「領分拂ひ」津藩領外への追放。
・「下死人」解死人又は下手人とも書き、「下手人(げしゅにん)」の音変化したもの。「下手」は物事に手を下す意で、原義は直接手を下して人を殺した者、殺人犯を指す。そこから、江戸時代に庶民に適用された斬首刑をも指すようになった。当時の死刑の中では軽いもので、財産の没収などは伴わなかった。
・「望人」ママ。後を継ぐことを望む人の謂いか。但し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『弔ふ人』とあり、書写の際、判読を誤ったものののようにも思える。訳は
バークレー校版を採った。

■やぶちゃん現代語訳

 天理から罪は遁れられぬという事

 築土白銀町(つくどしろがねちょう)に、煙草屋次助と申す者、年の頃、三十歳余りで、五六年以前より追々繁昌し始め、近頃では切子(きりこ)の三、四人も雇い入れて夫婦で暮しして御座ったが、文化二年の頃、次助、聊か患ろうて身罷ったところが、妻もほどのう相い果てて、そのお店(たな)も仕舞い、家財も店請(たなうけ)の方(かた)が引き取った由。
 さて以下は、同町に住まう三四郎と申す――次助とは同じ在所の出で御座った――者の話である。

……かの次助は伊勢国の出で、我らも同所の生まれで御座いましたによって、よう知っておりまする。
 次助は十年以前、在所にて友達と喧嘩をし、相手を傷つけて、藤堂和泉守高嶷(たかさと)殿の御領分で御座いましたゆえ、領主支配の牢獄に入牢(じゅろう)と相い成ったので御座いますが、ご吟味の最中に、何故か内済(ないさい)とかでこと済み、軽(かろ
き領分払いで済んで御座いましたが、丁度、次助が追放と相い成りました、その直後、喧嘩で傷つけた相手は結局、その傷が元で相い果て御座いました。在所にては、
「……あのまま……領分払いにならなんだらな……今頃、人を殺(あや)めたかどで、下死人(げしにん)のお裁きが下ったに違いないわ。……よおけ、幸せ者(もん)やなぁ……」
と皆、噂致いてもので御座いました。……
……しかし天理は遁れざるものなの御座いましょうか……かくも夫婦(めおと)揃うてて殆ど同時同様に……これ、相い果ててしまい……その跡は弔(とむろ)う人とても御座いませぬ……」

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