母 萩原朔太郎
母
今日の家庭に於て、母は完全の「他人」である。その良人とも、その子供とも、彼等は精神上に別居してゐる。そこで彼等は、その獨りぼつち(アインザーム)を感ずることから(即ち一種の友情からして)しばしば子供等と共感し、子供等の父に叛逆する。一つの家族聯盟から、いつも父だけが取り殘される。父は皆に憎まれる。しかしながら父だけが、今日に於て唯一の責任感を持つてるモラリストである。彼等は自己の敗戰を意識しながら、しかも家族制度の責任者として、人倫の最後の要塞(とりで)を守らうとして苦戰してゐる。父の戰さは悲壯である。
[やぶちゃん注:『改造』第十八巻第十一号・昭和一一(一九三六)年十一月号に掲載。太字「父は皆に憎まれる」は底本では傍点「◎」。傍点後、昭和一五(一九四〇)年七月創元社刊のアフォリズム集「港にて」の「個人と社會」に所収された。その際、「戰さ」は「戰」に改められた。
「アインザーム」“einsam”(ドイツ語・形容詞)独りの、孤独な、淋しい、人里離れた、辺鄙な。因みに名詞形ならば“einsamkeit”(アインザームカイト)。
「母」という標題を掲げながら、朔太郎得意の「父は永遠に悲壮である」ことを語り切るという内容の齟齬が、同時に朔太郎の内実に於ける父なるもの乃至は母なるもののトラウマ(心傷)とスティグマ(聖痕)を見透すことが出来、彼の芥川龍之介に比して如何にも退屈なものが多いアフォリズムの中でも逆に目を引くものだと私は思う。]