日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第九章 大学の仕事 9 子どもの遊びと女らしい国民
町で遊んでいる子供達の習慣や行為は、見れば見る程、我国の子供達のと似て来る。最初、変った着物を着、奇怪な有様で頭の毛を剃り落し、木製の草履(ぞうり)をはいてヒョコヒョコ不思議な足どりで歩いているのを見ると、子供ということは判るが、地球以外の星からでも来たように思う。彼等は紙鳶(たこ)をあげ、独楽(こま)を廻し、泥で菓子をつくり、小さな襤褸(ぼろ)の人形をつくる。襤褸人形には、実に妙な格好をしたのがある。私は一人の子供が別の子供の後にかけ寄り、両手を目の上にかぶせ、正しく言いあてる迄は手を離さないのを見た。お互に背負い合ったり、羽根をついたり、我々のジャックストンスに似た遊技をしたりする。私は、彼等がマーブルスをやっているのは、見たことがない。マーブルスが無いからである。また鞠(まり)も、我々がやるようにしては遊ばず、何度弾ねかえすことが出来るかを見る為に、地面に叩きつけて遊ぶ。もっとも彼等は、数えながら取り出す各種の遊びや目かくしや、その他並んだり、一列になって進行したりする遊戯はする。お母さんは、我々と同じようにして子供と「むずむず鼠」をして遊ぶが、只これは鼠でなくて狐である。彼等は大きな木の根元で遊んだり、砂に小さな路をつくったり、これは家だ、お寺だ、橋だ等といって、小さな物を地面につき立てるのが、特に好きらしい。私は屢々、人の家で、水を満した大きな浅い皿の中に、小さな植物がすこし生えた古いこんがらかった木の板を入れた物を見た。それには小径がうねっており、渓谷には橋がかかり、そこここに玩具の家が建っている。これ等は組になっているのを買うので、老幼を問わず、この、簡単な小さい風景を楽しむらしく思われる。このような、見受ける所如何にも子供らしい遊びを楽しむことが、我々に、日本人は本質的に女らしい国民だという観念を与えた。而も台湾の土民との戦や、最近の薩摩の謀反で、彼等は最も激烈な勇気と戦闘心とを示した。
[やぶちゃん注:盆景を好む(私は以前に申し上げた通り、実は盆景が大好きであった)「日本人は本質的に女らしい国民だという観念を与えた」というのは面白い感想である。そうするとタルコフスキイなんぞを見たらモース先生は頗る女性らしい映画だ、というのであろう。
「木製の草履」原文“wooden sandals”。ぽっくり下駄と思われ、草履の主材質は合皮・革・布・畳(竹皮など)などであるから、ここは「下駄」と訳した方がよいように感じる。
「ジャックストンス」原文“jackstones”。底本では直下に石川氏の『〔お手玉に似たもの〕』という割注が入る。ウィキの「ジャックス(遊び道具)」を見ると、一般的にはジャックス(六本の棒が立体的に飛び出た小さな駒)十~十五個とゴムボールを使用し、まずジャックスを宙に放り投げて手の甲で受け止め、最も多くの数を受け止めた方が先攻となる。先攻はジャックスを平らな地面に投げ捨てる。ボールを地面に打ち付けて弾ませ、ボールが地面に落ちる前にジャックスを一個拾い、ボールを受け取る。これを繰り返し、落ちているジャックスをすべて拾うことが出来たら、次は一度に二個ずつ拾う。同様に、三個、四個と増やしていき、ボールが落ちるか指定数のジャックスを拾えなかった場合は後攻に交代する。より多くのジャックスを拾えた方が勝ちとなる。以上が基本的な遊び方とされているが、実際には様々なルールが存在し、片手だけで行うこともあれば両手を使うこともあってその時々で異なる、とある。
「マーブルス」原文“marbles”。底本では直下に石川氏の『〔大理石、硝子(ガラス)等の玉を地面の穴へころがし込む遊技で、今はやっている〕』という割注が入る。所謂、ビー玉遊びであるが、英文ウィキの“marble”の“marbles game”にはその原型は大理石の玉を用いたことが分かる。ウィキの「ビー玉」には、詳細な本邦での様々な遊び方・ルールが紹介されている。因みに愚鈍な私は、幼少の頃、一度としてビー玉に勝った記憶がない。
「むずむず鼠」原文“creepy mouse”。こちらの動画を見ると、眼から鱗。但し、この幼児相手の指遊びをお狐さまとするというのは私は初耳である。識者の御教授を乞う。]
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