柚の花やゆかしき母屋の乾隅 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
柚(ゆ)の花やゆかしき母屋(もや)の乾隅(いぬゐずみ)
土藏などのある、暗くひつそりとした舊家であらう。その母屋の乾隅(西北隅)に柚の花が咲いてるとも解されるが、むしろその乾隅の部屋――それは多分隱居部屋か何かであらうの窓前に、柚の花が咲いて居ると解する方が詩趣が深い。舊家の奧深く、影のささないひつそりした部屋。幾代かの人が長く住んでる、古い靜寂な家の空氣。そして中庭の一隅には、昔ながらの柚の花が咲いて居るのである。この句の詩情には、古い故郷の家を思はせるやうな、或は昔の祖母や昔の家人の、懷かしい愛情を追懷させるやうな、遠い時間への侘しいノスタルヂアがある。これもやはり、蕪村の詩情が本質して居る郷愁子守唄の一曲である。ついでに表現の構成を分析すれば、「柚の花」が靜かな侘しい感覺を表象し、「母屋」が大きな舊家――別棟や土藏の付いてる――を聯想させ、「乾隅」が暗く幽邃な位置を表象し、そして「ゆかしき」といふ言葉が、詩の全體にかけて流動するところの、情緒の流れとなつてるのである。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「夏の部」より。太字は底本では傍点「ヽ」。]