日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第九章 大学の仕事 15 学生たち
図235は、私の特別学生の一人が、標本を選りわけている所の写生図である。頭髪がモジャキジャしているのは、日本人が理髪という簡単で衛生的な方法を採用する迄は、頭のてっぺんを剃り、丁髷(ちょんまげ)をつけていた結果なのである。何年も何年も剃った後なので、髪毛は容易に分れず、また適当に横にすることも出来ない。私は、文章では示すことが困難な日本の衣服を見せるために、この写生をした。これでも見えるように、袂は半分縫ってあるが、これが彼の持つ唯一のポケットなので、両方の袂に一つずつある。彼は外国風の下着を着ているが、これが無ければ腕はむき出しである。柏木氏の話によると、三百年前の日本人は我々と同じような、せまい袖を着ていたし、二百年前でさえも、袖は非常にせまかったそうである。スカートは、実のところ、横でひらいた、ダブダブなズボンで、後には直立する固い部分があり、サムライだけがこれを着る権利を持っている。サムライの娘たちも、学校へ行く時は、いく分かの尊敬を受けるために、これを身につける。図236と図237とは、予備校へ行っている少年たちを写生したものである。彼等はここで、大学へ入る前に英語をならう。私はよく実験室の窓から彼等を見るが、まことに眉目(みめ)麗しく雄々しい連中で、挙動は優雅で丁寧であり、如何にも親切そうにこちらを見るので、即座に同情と愛情とを持つようになる。悪意、軽蔑、擯斥等の表情は見受けないような気がする。私は日本人がかかる表情を持っていないというのではない。只、私はそれ等を見たことが無いのである。
[やぶちゃん注:「擯斥」「ひんせき」と読む。退けること。除け者にすること。排斥。原文は“disdain” 軽視・指弾・軽蔑・潔し・侮蔑などの意を持つ。しかし、この箇所の三つの単語は“malice, contempt, or disdain”で、表情の差を出そうとするなら、“malice”は「悪意」よりは「害意」又は「恨み」が、“contempt”は「軽蔑」より「侮辱」又はこの「擯斥」を用い、“disdain”を「軽蔑」「侮蔑」とした方が――害意、擯斥、軽蔑等の表情は見受けないような気がする――よいように思われる。]
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