中島敦 南洋日記 十月八日
十月八日(水) 冬島
六時牛少し前堀氏來、ハトバに支廳ランチさくらを待つこと一時間半。八時出發、一時間餘にして冬島着。島民の挨拶の叮嚀なるに一驚す。公學校に至り、校長岩邊氏に會ふ。丘の上なる官舍に入つて休む、パンの木、カボック、クロトン等に圍まれたる丘上の小庭、眺望頗る佳。山鳩來り遊ぶ、胸純雪白。背部赤褐。尾、暗靑。美し。晝食は、伊豆川氏宅にて認む。食後、マルクン村迄散歩す。紅樹林。干潟。赤蟹。小前肢ある鯊(ハゼ)(?)。紅樹の芽に上る。島民の家々を覗くにパン餅を作りつゝあり。干潟のリーフには女等網を手に魚を取る。スカートはビショ濡れなれど平氣なり。伊豆川氏と將棋。夕食も同氏宅にて雞の馳走に預かる。伊豆川氏は小田原の人。幼より父を亡ひ、横濱の伯父の許にあつて苦勞を重ね、十九の年より南洋に來り、四十餘歳の今日に及ぶといふ。コプラ業者なり。自ら、假名以外に書き得ずといふ。昨年内地に歸り、三十五年振に實姉に會ひたりと。朴直なる好人物なり。ランプ。
七時半伊豆川氏宅を辭し、岩邊氏、掘氏と海邊傳ひに歸る。十七夜の月漸く出でて、未だ低し、椰子樹と、暗き島民家庭より洩るゝギターの育と、夏島の夜の喧騷とは格段の差あり。入湯、八時過就寢。
[やぶちゃん注:「ランチ」launch。港湾内などでの連絡や人・荷物の輸送などに使われる快速で機動性のある舟艇。
「山鳩來り遊ぶ、胸純雪白。背部赤褐。尾、暗靑。美し」これは現在、ポンペイ島とチューク島のみに数百羽しか残存しない絶滅危惧種ハト目ハト科マミムナジロバト
Gallicolumba kubaryi (英名:Caroline Islands Ground-Dove)かも知れない。写真画像検索では今一つ合致しないが、こちらの切手の図案では敦の表現との一致が見られるように思われる。
「紅樹林」マングローブ林のこと。海漂林とも。マングローブは一種の樹種名と誤解されている向きもあるので、ウィキの「マングローブ」から引用注記しておく。『マングローブの語源は、マレー語で潮間帯に生育する樹木の総称を表す
mangi-mangi(マンギ・マンギ)に、英語で小さい森を表す grove
の合成で』、『マングローブという用語は「森林全体」と森林を構成する「種」を表す場合があり、混乱を招くため、前者を「マングローブ(林)」、後者を「マングローブ植物」と使い分けることが一般的である。また、前者をマンガル(mangal)、後者をマングローブと区別することもある』。『マングローブ林を構成する植物は世界に70―100種程度あり、主要な樹木の多くがヒルギ科、クマツヅラ科、ハマザクロ科(マヤプシキ科)の3科に属する種である』。『日本国内で、マングローブにのみ分布が限定される種は、メヒルギ(ヒルギ科)、オヒルギ(ヒルギ科)、ヤエヤマヒルギ(ヒルギ科)、ハマザクロ(ハマザクロ科、別名マヤプシキ)、ヒルギダマシ(クマツヅラ科またはキントラノオ科、ヒルギダマシ科)、ヒルギモドキ(シクンシ科)及びニッパヤシ(ヤシ科)の5科7種である。これらは、マングローブの主要な構成種であり、分類学的にも近縁の群からかけ離れている』。『上記の種に付随して、サキシマスオウノキやシマシラキ、テリハボク、サガリバナ、リュウキュウキョウチクトウ等の樹木が生育するほか、シイノキカズラなど特有のつる植物や草本をともなう場合がある』。
「赤蟹」条件限定がはっきりしない。文章の続きから見ると、干潟種であって陸性のアカガニ類ではないと思われるが、全体が赤いのか、鋏脚が赤いのかなども分からないので同定は不能である。
「小前肢ある鯊」ハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科トビハゼ属
Periophthalmus の一種と思われる。トビハゼ類は胸鰭の付け根の筋肉が著しく発達しており、敦の表現するように「小前肢」の如く見える。『干潟上では胸鰭で這う他に尾鰭を使ったジャンプでも移動する。近づくとカエルのような連続ジャンプで素早く逃げ回る』。『干潟上で甲殻類や多毛類などを捕食』し、『潮が満ちてくると、水切りのように水上をピョンピョンと連続ジャンプして水際の陸地まで逃げてくる習性があり、和名はこれに由来する』と参照したウィキの「トビハゼ」にある。
「十七夜の月」この日(昭和一六(一九四一)年十月八日)を旧暦に直すと八月十八日で、月の出は夜八時頃であった(「こよみのページ」による計算)。]
« 絶頂の城たのもしき若葉かな 蕪村 萩原朔太郎 (評釈) | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 12 浅草寺にて »