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2013/11/08

廣庭の牡丹や天の一方に 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)

 

   廣庭の牡丹や天の一方に

 

 前の句と同じやうに、牡丹の幻想を歌つた名句である。「天の一方に」は、「天一方望美人」といふやうな漢詩から、解釋の聯想を引き出して來る人があるけれども、むしろ漠然たる心象の幻覺として、天の一方に何物かの幻像が實在するといふ風に解するのが、句の構想を大きくする見方であらう。すべてこうした幻想風の俳句は、芭蕉始め他の人々も所々に作つて居るけれども、その幻想の内容が類型的で、舊日本の傳統詩境を脱していない。こうした雄大で、しかも近代詩に見るやうな幻覺的なイメージを持つた俳人は、古來蕪村一人しかない。

 

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「夏の部」より。

 

 『「天の一方に」は、「天一方望美人」といふやうな漢詩から、解釋の聯想を引き出して來る人がある』というのは、烏孫公主劉細君(漢の武帝の時に政略婚として西域の烏孫国に嫁した漢の皇女)の「悲愁歌」の冒頭にある、

 

吾家嫁我兮天一方

遠託異國兮烏孫王

 

 吾が家 我を嫁がす 天の一方

 遠く 異國に託す 烏孫王

 

辺りを元として、「文選」の夫婦の生き別れを描く「古詩十九首 之一 行行重行行」の冒頭部分、

 

行行重行行

與君生別離

相去萬餘里

各在天一涯(以下、略)

 

 行き行きて重ねて行き行く

 君と生きながら別離す

 相ひ去ること萬餘里

 各々天の一涯に在り

 

の四句目、そしてそこから通底するともされる蘇軾「前赤壁賦」の中の舟歌、

 

桂棹兮蘭奬

擊空明兮泝流光

渺渺兮予懷

望美人兮天一方

 

 桂の櫂(かい) 蘭の奬(かぢ)

 空明を撃ち 流光に泝(さかのぼ)る

 渺渺たり 予が懷(おも)ひ

 美人を天の一方に望む

 

の「望美人兮天一方」の句を下敷きとするという解釈を指す(但し、詩ではなく賦であり、引用の文字列も誤っている)。蘇軾のそれの「空明」は水面に映った月影、「流光」はそこに揺れ流れゆく月光の謂い。この蘇軾の賦でいう「美人」は女性ではなくて寧ろ、賢人・君子・皇帝に喩えられる月というニュアンスであるとも言われる(確定的ではない)が、蕪村の「天の一方」はそれらを丸ごと絶世の美女のイメージに変換した上で、天上界の時じくの花(煩悩を忘却させる)としての牡丹に通わせたのだ、という解釈を指している。この解釈は解釈で大陸的で雄大な幻想世界に裏打ちされて繋がっているように私には感じられ、萩原朔太郎の批判は当たらぬと思う。]

 

 

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