更衣野路の人はつかに白し 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
更衣(ころもがへ)野路の人はつかに白し
春着を脱いで夏の薄物にかえる更衣(ころもがへ)の頃は、新綠初夏の候であつて、ロマンチツクな旅情をそそる季節である。さうした初夏の野道に、遠く點々とした行路の人の姿を見るのは、とりわけ心の旅愁を呼びおこして、何かの縹渺たるあこがれを感じさせる。「眺望」といふこの句の題が、またよくさうした情愁を表象して居り、如何にも詩情に富んだ俳句である。こかうした詩境は、西洋の詩や近代の詩には普通であるが、昔の日本の詩歌には珍しく、特に江戸時代の文學には全くなかつたところである。前出の「愁ひつつ丘に登れば花茨」や、春の句の「陽炎や名も知らぬ蟲の白き飛ぶ」などと共に、西歐詩の香氣を強く持つた蕪村獨特の句の一つである。
因(ちなみ)に、蕪村は「白」といふ色に特殊な表象感覺を有して居て、彼の多くの句に含蓄深く使用して居る。例へば前に評釋した句、
白梅や誰が昔より垣の外
白梅に明る夜ばかりとなりにけり
等の句も、白といふ色の特殊なイメーヂが主題になつて、これが梅の花に聯結されて居るのである。これらの句に於て、蕪村は或る心象的なアトモスフイアと、或る縹渺とした主觀の情愁とを、白といふ言葉においてイメーヂさせて居る。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「夏の部」より。引用の二句は底本ではポイント落ち。
蕪村の個人句集「落日庵句集」では初案を、
更衣野路の人わづかに白し
とする。朔太郎は完全な実景として絶賛しているが、例えば清水孝之校注新潮日本古典集成「蕪村句集」(昭和五四(一九七九)年刊)では、本句は「古今和歌集」の壬生忠岑の和歌(第四七八番歌)、
春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草のはつかに見えし君はも
を転換したもので、写生句ではない、と断じている。しかしだとすれば、初案を「わづかに」としたものを、後から言わずもがなに合わせる如く「はつかに」と直すであろうか? 寧ろ、朔太郎の「見た」ように嘱目としての実景としての『眺望』の感動がまずあって、それに壬生忠岑の和歌に附合せることを蕪村は考えたとする方が遙かに自然である。]