日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第九章 大学の仕事 13 モース先生、芸者遊びに辟易する / 「ネイチャー」誌への大森貝塚初期発掘報告論文の事
一人の友人と共に、私は三人の日本の舞妓を見た。この三人は前から約束しておいたので、一人はまったく美しく、他の二人は非常に不器量だった。我々は襖を外して二間を打通した部屋を占めた。蠟燭が娘たちに光を投げるように塩梅されて置かれ、二人の娘がギターに似た物を鳴らし続ける間に、一人が舞踊をした。踊り手は、単調な有様で歩きまわり、身体をゆすり、頭、腕、脚はいろいろな形をした。舞踊には各名前がついているらしく、身振は、舟を漕ぐこと、花をつむこと等を示すのを目的としている。各種の態度に伴う可く、扇子はねじられたり、開かれたり、閉じられたりした。衣服は美麗な縞の縮緬(ちりめん)である。これをやっている最中に、この家の女中が、我々三人のために、ゆで玉子を十六持って来、続いて、十二人の腹のすいた人々にでも充分である位の、魚、海老(えび)、菓子、その他を持って来た。我々は晩飯を腹一杯食ったばかりなので、勿論何も食うことが出来なかった。そして私は内心、やる事がいくらもあって時間が足りぬ位なのに、こういう風にして大切な刻々を失うことを思って坤吟した。それで、この見世物が終った時にはうれしかった。もっとも、人頬学的見地からすれば、この展覧会は甚だ興味があった。
[やぶちゃん注:「日本の舞妓」原文“Japanese dancing girls”。
「縮緬」原文“crape”。
「もっとも、人頬学的見地からすれば、この展覧会は甚だ興味があった。」原文は“though ethnologically the exhibition was very interesting.”。モース先生、ちょっと意地悪。
この後、底本・原本ともに一行空けがある。前の箇所もそうだが、どうもこれらは、当時の日記からほぼそのままに引き写したという感じを読者に示すものであるらしい。]
九月二十二日。今日と昨日は、大森の貝塚のことを書き、そこで発見した陶器の絵を書くのに大勉強をした。この辺には、参考書が至ってすくないので、科学的の性格のものを書くのに困難を感じる。
[やぶちゃん注:ということは、“前の段落注で示した投稿(E.S.Morse, Nature, Vol.17, p.89 (1877))は、まさにこのような状況によって実際にはクレジットの翌日以降に脱稿したことが分かる。]
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