大槻文彦「言海」の「猫」の項 + 芥川龍之介の同項を批評したアフォリズム「猫」
ねこ(名)【猫】
[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨコ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]
古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常ニ圓シ。
〇ねこノ目。屢、變ジテ着落(トリトメ)ナキコト。
[やぶちゃん注:大槻文彦「言海」(明治二二(一八八九)年六合館刊)より。但し、一部の表示不能の表記や句読点・記号の一部を変更追加し、読み易くするために二箇所に改行を入れた。「蓄フ」は「かふ」、「駁」は「ぶち」、「睛」は「ひとみ」と読む。「(ニヨコ)」「(トリトメ」はともにルビ。]
*
猫
これは「言海」の猫の説明である。
「ねこ、(中略)人家二畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ竊盗ノ性アリ。形虎二似テ二尺ニ足ラズ。(下略)」
成程猫は膳の上の刺身を盜んだりするのに違ひはない。が、これをしも「竊盜ノ性アリ」と云ふならば、犬は風俗壞亂の性あり、燕は家宅侵入の性あり、蛇は脅迫の性あり、蝶は浮浪の性あり、鮫は殺人の性ありと云つても差支へない道理であらう。按ずるに「言海」の著者大槻文彦先生は少くとも鳥獸魚貝に對する誹毀の性を具へた老學者である。
[やぶちゃん注:大正十二(一九二三)年十一月発行の雑誌『随筆』創刊号及び翌十三年三月発行の同誌第二巻第二号に掲載された「雜筆」より。これらは後に『百艸』に「澄江堂雜記」として所収された。僕のテクストより引用した。]