『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 21 先哲の詩(26)
月夜宿江島 鵜孟一
孤島崔嵬石徑通。
躋攀神女妙音宮。
棲頭人倚諸天月。
洞口龍吟半夜風。
鐘度淸霜凄滿地。
珠搖滄海皎連空。
更闌不寐聽波響。
疑和琵琶入曲中。
[やぶちゃん注:鵜殿士寧(うどのしねい 宝永七(一七一〇)年~安永三(一七七四)年)は江戸中期の漢詩人。江戸生。本姓は村尾で孟一は名、士寧は字、通称は左膳。本荘・桃花園と号した。弱冠にして長沼流兵学を学び、武芸の修練を積む。また、服部南郭門に入って詩人としても名を馳せた。幕臣鵜殿長周の養子となり、長周の娘を妻とした。禄高六百五十石。詩は典型的な古文辞風で、擬古主義の類型的な措辞が多い。幕臣とあって南郭門下に於いて重きをなしたが,それ故の評判の悪さも「先哲叢談後編」などに伝えられている。歌人として有名な鵜殿余野子は実の妹。著作に「桃花園遺稿」(「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。「鐘度」は底本「風度」であるが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの「相模國風土記」の「藝文部」で訂した。
月夜、江の島に宿す 鵜 孟一
孤島 崔嵬 石徑 通ず
躋攀(せいはん) 神女 妙音の宮
棲頭 人 倚れり 諸天の月
洞口 龍 吟ず 半夜の風
鐘は度(わた)つて 淸霜は凄(せい)として 地に滿ち
珠は搖れて 滄海は皎(かう)として 空に連なる
更(こう)闌(た)けて寐ねず 波の響を聽くに
疑ふらくはこれ 琵琶に和して曲中に入らんかと
・「崔嵬」既出。山が岩や石でごろごろしていて険しいさま。また、堂塔などが高く聳えているさま。ここでもまず、江の島の危崖を前者で述べ、後者を次の句に利かせている。
・「躋攀」畳語で「躋」も「攀」と同じく「のぼる」と訓じる。高いところに登ること。
・「棲頭」不詳。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの「相模國風土記」の「藝文部」もこうあるが、不遜ながら、これは「樓頭」の誤りではなかろうか? 識者の御教授を乞う。
・「凄」これは冷たいという意よりも、穢れなき清く美しい霜の、他から遙かにかけ離れている凄絶にして現実離れした清浄感を示すものと読む。
・「皎」清く白く明るく輝くこと。
・尾聯はあたかも波濤の音を仙界で奏でられる天上の音楽に聴き紛うているのであろう。]
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