日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 30 不思議な大道芸人の群れ
毎日、町を行く手品師か、音楽師か、行商人か、軽業師の、何かしら新しいのが出現するが、乞食はいない。図282は、貧しい服装をした三人のさすらいの人の一群を、ざっと写生したものである。一人は彼女の手に、竹に硝子をつけた妙な物を持っていたが、私はこれを何等かの装飾だと推定した。もう一人の女は三味線をひき、三番目のは四角い箱を持って、つづけさまにそして速口で、何か喋舌り立てた。私はこの一群をしばらく尾行したが、何事も起らないので、彼等を追い越して、男に一セントやったら、早速演技が始った。彼は花の一枝を粗末に真似たような物を取り、竹竿の下端を口にあてて、息を吹き込んだり吸い出したりして、全然非音楽的でもない、一種奇妙な、ペコンペコンという音を立てた。鐘の形をした装置を調べると、その口に当たる所に硝子の膜が張ってあり、この硝子の膜が出たり入ったりして、音を立てるのだということが判った。これをしばらくやった揚句、彼は竹の端を咽喉にあて、私には判らなかったある種の運動で、膜に音をさせた。次に彼は柄の長い煙管を取り上げ、二、三服した後で、吸口を咽喉に当て、前同様に勢よく吸い続けた。これはどうも大した謎である。煙草を吸う程の力で皮膚を動すことは、不可能らしく思われた。彼は着物の下に、腹で動すことの出来るふいごの一種を、かくして持っていたに違いない。私は彼が頸部にしっかりと布を巻いているのに気がついたが、多分これで腹部にあるふいごに連る管を、かくしているのであろう。それにしても、中々気の利いた芸当で、集って来た群衆も大いに迷わされたらしく見えた。
[やぶちゃん注:先頭(図の右端)の男が玩具のビードロ売り(吹き口に竹を接いである)、左端の女の三味線弾きは門付であるが、真ん中の男がよく分からない。首掛芝居(古くは傀儡師といった)にしては箱(二十センチ角ぐらいしかない)が小さ過ぎるから違う。竈祓いや願人坊主のスタイルに似てはいる。ともかくも面白いのは、「この一群」とモースが表現している点で、どう見ても恐らくはかつて一人ひとりが個別に遊行して商売をしていた彼らが、ここに至ってチームを組んで興行しているらしい点にある。所謂、こうした江戸時代を通じて無数に存在した行商人や流しの有象無象の芸能者(大道芸人)たちが、まさにこの近代のトバ口にあって、生き残りをかけて共同戦略を謀っていたのではあるまいか? ポコペン、ポコペンというビードロの音、女の三味線、口上を喧伝する男……これが私には一つのチンドン屋のルーツのようにさえ見えてくるのだが……これは大きな誤解であろうか?……大方の御批判を俟つものではある。……いいや、そんなことは実は私にはどうでもいいことなんだ……ホームズならぬモースが、その鋭い観察眼でビードロ売りの奇術のタネを推理する辺り……帝都東京の場末の……大道芸人たちの喧騒や庶民のざわめきが如実に伝わってくる美事なシークエンスではないか……
「全然非音楽的でもない」原文は“not entirely unmusical”。誤用が慣用化した表現ではあるものの、改めてこうして日本語の「訳」として見るとやはり大きな違和感を感じる。「必ずしも非音楽的というのでもない」とすべきである。]
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