萩原朔太郎 短歌九首 明治三六(一九〇三)年十月
淋しさに歌はなりてきしかはあれど春の一人を戀ひむよしもなし
幾度か草に伏したる一人ぞや後よりかへせ馬頭觀音
君は去りぬ殘るは吾と小さき世の月も月かは花は花かは
朝の戸に倚ればかつ散る緋芍薬うしとも見たる雲のみだれや
天地に水ひと流れ舟にして我もありきと忘るべしや夢
み歌さらになつかしみしたひつゝ忘れかねては行く萩が原
大空の物の動きとめざめては秋ぞこの子をよみがへらする
さぼてんの花よりひくき夏の雲物憂と人にせまる無聊や
たゆたひし夢さへ遂に力なくたえむとあらば戀はうせぬべし
[やぶちゃん注:『文庫』第二十四巻第三号(明治三六(一九〇三)年十月発行)に「上毛 美棹」名義で掲載された九首。萩原朔太郎満十六歳。太字は底本では傍点「〇」、傍線は底本では傍点「ヽ」である。但し、これらは選者服部躬治(既注済)が附した圏点と考えられる。以下、初出に附された服部の選評を示す。
三首目「君は去りぬ」は歌の後に、
情念は可し、四五、駢儷、却て自ら弱む。
とある。「駢儷」は「べんれい」と読み、四六駢儷体、四六文のこと。本来は漢文の文体の一つで四字又は六字の句を基本として対句を多用して句調を整えるとともに各所に典故を配した華麗典雅な、六朝から唐にかけて流行した美文。本邦でも奈良・平安期の漢文に多く見られる。ここは単に構造上の対句表現の畳みかけを難じている。
全字に圏点「〇」を附した五首目「天地に」の後には、
意を展ぶる濶達、調を諧するに悠舒、感興の大なるなり。
とする。「悠舒」はゆったりとして伸びやかなさま。
同じく全字に圏点「ヽ」を附した七首目の「大空の」には、
巧緻なり、然れども巧緻弄せず。意趣油然たり。
と絶賛する。「油然」とは盛んにわき起こるさま、心に浮かぶさまをいう。個人的には「天地に」の方が確かに「巧緻」で上手いとは思うが、前者の青年らしい感傷の方が私には好ましい。他の評、圏点の違いからは服部も前者をより評価しているように私は思う(そもそも他の評にもあるように修辞的な巧緻性は服部には二の次であったように思われるからでもある。
第八首「さぼてんの」には、
上句風趣あり、下句興會なし。ありといへどもそれに伴ふ語と調となし。
と難ずる。「興會」とは聞き慣れぬ語であるが、「きようゑ」と読むか。興感、上句が醸成した感懐を下句の文字言辞に於いて引き出すところの共感的出逢いといったニュアンスであり、この評には大いに同感するところである。]
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