生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 四 芽生 コケムシの冬芽
以上掲げた例ではいづれも芽が親の身體の外面に生ずるから、それが芽であることが明に知れるが、芽が親の身體の内部に出來ると往々芽生とは考へられぬやうな場合が生ずる。海の水は冬でも温いから、海産の動物は冬を越すために特殊の方法を採るに及ばぬが、池や沼に住む動物は、寒くなつて親が死ぬときに、凍つても死なぬやうな種を遺して置かぬと種族が全く斷絶する。それ故かやうな動物は冬になると特に厚い殼を被つた卵を産むか、または特に厚い殼を被つた一種の芽を生ずる。淡水産の苔蟲や海綿は冬の來ぬ間に盛にかやうな冬芽を造るが、親の身體の内で出來てしかも形が卵に似て居るから、近い頃までは學者もこれを眞の卵と思ひ誤つて居た。わが國では未だに淡水海綿の冬芽を「鮒(ふな)の卵」などと稱へて居る地方がある。さて親の體内に出いた冬芽と眞の卵とはいづれの點で相異なるかといふに、卵ならば全體でたゞ一個の細胞であるが、冬芽の方は始から多くの細胞の集まつたもので、たゞそれが球形の塊になつて居るといふまでである。植物の芽にもそのまゝ延びて親の身體の續きとなるものと、親の身體からは離れて別に新しい一株の基を造るものとがある。「ゆり」の或る種類では莖と葉との隅の處に黑い小さな玉が出來て、これが地上に落ちると一本の「ゆり」が生ずるが、苔蟲や海綿の冬芽はこれと同じやうな理窟で、發育すれば一疋の個體になり得べきだけの細胞の塊が親の身體から離れ、厚い殼に被はれて寒い時節を安全に通過し、翌年になつて一疋の個體までに出來上るのである。それ故、もしもこれだけの細胞が最初一個の細胞から生じたならば、單爲生殖で卵から發生したのと少しも違はぬ。「ヂストマ」の蕃殖する途中にも一疋の蟲の體内に多數の子が生ずる時期があるが、これなどは實に内部の芽生か或は單爲生殖か殆ど判斷が出來兼ねる。有性生殖と無性生殖とは全く別物の如くに考へる人もあるが、有性生殖中の單爲生殖と、無性生殖中の體内芽生とを比べて見ると、その間にはかやうな曖昧な場合があつて、決して判然と境が定められるものではない。
[やぶちゃん注:「淡水産の苔蟲や海綿」既注の外肛(コケムシ)動物門
Bryozoa (Ectoprocta)は裸喉綱・狭喉綱・被喉(掩喉)綱の三綱に分類されるが、被喉(掩喉)綱は淡水産種のみで構成されており、口の上を覆う口上突起(epistome)と呼ばれる構造を持つ点で他の二綱と区別され、殆んどの種が馬蹄形の触手冠を持つ。以下、参照した東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター生物資源再生分野特任助教広瀬雅人氏の「コケムシWebSite」の「淡水コケムシについて」によれば、被喉(掩喉)綱は六科一五属八〇種ほどが報告されており、本邦には二三種が報告されている。被喉(掩喉)綱の大部分を占めるのはハネコケムシ科
Plumatellidae で、その中でもハネコケムシ属 Plumatella は被喉綱全体の約七〇%を占め、ハスの葉の裏側や沈木上に枝状分岐した管状の群体を形成する。その他のグループは種数が少なく、先に示したオオマリコケムシ科のように一属一種しか知られていないもの少なくない。群体の形態も多様で、ヒメテンコケムシ科
Lophopodidae は数ミリメートル程の透明な群体を、オオマリコケムシ科Pectinatellidae は前に見たよう巨大な群体塊を、アユミコケムシ科 Cristatellidae
はわずかな移動力を有した紐状の細長い群体を形成する。ここで問題となっている被喉(掩喉)綱コケムシの越冬については、『被喉綱の群体は一般的に春の水温上昇に伴って出現します。成長した群体は夏の間に有性生殖によって幼生を放出し、冬になると無性生殖で形成された休芽(statoblast)を残して消滅し』、『休芽はカプセル状の休止芽で、浮環(annulus)と呼ばれる多孔質の浮き輪に囲まれた浮遊性休芽と、浮環をもたない付着性休芽があり、これらは共に越冬に役立つとされています。特に浮遊性休芽は多数の棘を周縁にもつものや乾燥への耐性もあることから、水鳥の羽に付着するなどして分散にも役立っているとされています。中には水鳥によって捕食・排泄された後も発芽能力を有する休芽があることも報告されています』とある。リンク先では丘先生が図で掲げる苔虫の冬芽の鮮やかなカラー画像が見られる。必見! 「淡水産の」「海綿」は海産が多い海綿動物門の中でも少数派で、主に尋常カイメン綱ザラカイメン(単骨海綿)目タンスイカイメン科 Spongillidae に属する。形はやはり塊状・板状・樹枝状など多様で、緑藻類が共生して緑色を呈していることが多い。骨片は珪質から成る棒状である。以下、平凡社「日本動物大百科 7 無脊椎動物」の「海綿動物」にある元お茶の水女子大学理学部教授渡辺洋子氏の記載(引用ではカンマ・ピリオドを句読点に変更した)によれば、例えばカワカイメン
Ephydatia fluviatilis (初めは平板状で成長すると十五センチメートル程の中心に空洞を持った球状となる)では、他の淡水産海綿の芽球と同じく、『生きた細胞が海面繊維と骨片でつくられた殻の中に入って休眠する』タイプで、これは『冬になっても死ぬことはなく、芽生形成は生活環の1段階というよりは、環境変化に耐えて生き延びるための一種の保証のようなものと考えられている。川や湖、沼などのような隔離された陸水域にすむ淡水海綿に、カワカイメンのような世界共通の種が多く見られるのは、芽球が渡り鳥の足に付着し、遠くの水域まで運ばれて分布を広げたものとみられている』。ヌマカイメン
Spongilla lacustris (通常は藻類が共生しているため太陽光の届く深度では鮮やかな緑色を呈する。初めは扁平に広がるものの、成長に従って垂直に何本も立ち上がってくる)では、『冬季、水温が低下すると芽球を形成して休眠し、親の組織は崩壊し、死滅する。春、水温が上昇すると、芽球内の細胞は目覚めて殻を出て、新しい体をつくる』とある。
『「ゆり」の或る種類では莖と葉との隅の處に黑い小さな玉が出來て、これが地上に落ちると一本の「ゆり」が生ずる』植物の栄養繁殖器官の一つである零余子(むかご)のこと。主として地上部の葉腋や花序に形成され、離脱後に新たな植物体となるものを言う。単子葉植物綱ユリ亜綱ユリ目ユリ科ユリ属オニユリ
Lilium lancifolium はまさに種子を作らずにこの葉の付け根に出来た暗紫色の零余子を以って次代を繋ぐ。
『「ヂストマ」の蕃殖する途中にも一疋の蟲の體内に多數の子が生ずる時期』吸虫「ヂストマ」(既注済み)の生活環の一ステージであるスポロシスト。吸虫類の二生(二生吸虫)亜綱 Digenea に属する種は一つ以上の中間宿主を持ち、さらに何段階かの複雑な変態を辿る(卵→ミラシジウム→スポロシスト→レジア→セルカリア→メタセルカリア→成虫。但し、一部を欠く種もある)る。『一次中間宿主である巻貝にミラシジウム幼生が進入すると、これが進入部位の近辺で繊毛衣を脱ぎ捨て、さらに変態、発育して嚢状体となる。これがスポロシスト幼生である。この嚢状態は消化管、排泄系、分泌腺を欠き栄養摂取も体表からの吸収によるが、ミラシジウムから引き継いだ体壁の胚細胞は発達しており、これが無性的な発生によってレジア幼生、あるいは母体と同様のスポロシスト、つまり娘スポロシストに発育して脱出してくる』(以上はウィキの「吸虫」及び「スポロシスト」に拠った)。]