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2013/12/27

ブログ・アクセス530000突破記念 珊瑚礁 火野葦平

[やぶちゃん注:本テクストは「河童曼陀羅」完全テクスト化プロジェクトの一つであると同時に(ここのところ更新を怠っていた)、ブログ・アクセス530000突破記念テクストとしても公開した。なお、この前に「煙草の害について」というチェーホフの作品をインスパイアした一篇があるが、この電子化には注釈を附したいと考えているので後日に回すこととするので、悪しからず。藪野直史【二〇一三年十二月二十七日】]

   珊瑚礁   火野葦平

 むかし、勤勉な河童があつて南に行つた。太陽はあかるくまぶしくきらきらと、うすもやのかかつてゐる南方の空氣のなかにみなぎりあふれ、光のいとが無數の金粉のやうにもつれて、おはらかな潮のかをりのなかにしみこんでゐるやうな場所では、どこか深い海のそこで、いくつもの海洋からながれこんで來る海流がふれあつて立てる音がおどろおどろしくひびくのである。あつさにも馴れて來ると、絢爛(けんらん)たる南の花々の美しさが眼に映りはじめた。すべて大づくりなゆるやかさをもつて、地面にまでその重たい花びらをたらしてゐる、早口でいへば舌を嚙むやうなめづらしい植物の名前をおぼえるのに、勤勉ではあるが暗愚な河童はひと苦勞した。さうしてあまりにきびしさのない水のあたたかさに、すこし心がゆるんで來たことを自分でも氣づいたときには、蓄積の想念にたいするかすかな疑念がわきはじめてゐたのである。
 南方へ移住して來たのは河童だけではなかつた。花々の誘惑をうけて多くの蜂のむれが蜜をあつめるためにやつて來た。おびただしい花々のなかに豐富な蜜があつた。蜂はよろこんだ。精勵なる作業がはじまつた。河童はきらめく光のなかを、まひあがる花粉のごとく、多くの蜂たちが蜜を蒐集してゐるすがたを、晝となく夜となく見た。河童は自分の棲みかをさだめるために、縹渺(へうべう)とした果からまつ青な水をうちよせて來る海濱に出て、珊瑚礁のあひだに沈んだ。眞紅の枝はりめぐらしてゐる珊瑚の林を縫うて、黄いろい縞のある平べつたい魚や、口ばかり大きくて尻尾のない長い魚や、顏ぢゆう眼ばかりのやうな丸い魚などがしきりに遊弋(いうよく)し、鬪志をもつたとげのするどい魚類がときをり珊瑚の森林のなかではげしくたたかつた。勤勉な河童は魚の骨をたくはへはじめた。
 どこかのあたたかい海の底にも寒流が通つてゐるところもあるといふ。その音が聞えるともいふ。耳をすましてその音を聞かうとしてゐるときに、ある日、河童はふしぎな羽音を聞いた。それは聞きなれぬ音ではなく、かれが海底に來るまへに、花々の咲きみだれてゐるあかるい高原で、晝となく夜となく聞いた音であつた。蜂が海へ來たのであらうか。蜂が海へ來たのであつた。あたかも潮がひいてゐた。靑い水面におほくの珊瑚が眞紅の美しい花のやうにひらき、それにふりかかる花粉のやうに、蜂のむれがゆるやかな、しかしあきらかに焦躁にかられた羽音をたてて降りて來るのであつた。珊瑚の枝に蜂のむれはとまつた。日が暮れはじめ、暮れた。潮が滿ちて來で、珊瑚礁は海底にしづんだ。蜂もともにしづんだ。
 毎日おなじことがくりかへされるにいたつて、河童はこの悽愴(せいさう)な勇氣に慄然としはじめた。かれはおどろいたときにする癖の背の甲羅を鳴らした。蓄積の想念に生じた疑念の小ささが、おもひがけぬあたらしい勇氣に還元されてゆくのを意識しつつ、海面に浮く蜂の屍をながめた。南方には花が多すぎたのだ。花のいのちの美しさは、吹くときすでに散ることの運命をふくんでゐるからにちがかない。散るときを惜しんで吹いてゐるあひだをいつくしむ心に、生きてゆくいのちの美しさもやどされるものであらう。蜂たちは散るときをおそれ、花のなくなる季節のために、花のあひだに精勵の作業をつづけたのである。花のなくなる季節がないといふことはなんといふたよりないことであらう。蜂は信念をうしなつた。つねに花があり、つねに蜜があるものをなんのために蓄積をする必要があらう。蜂は花の美しさにうたがひが生じ、生きることに倦怠のこころが湧いた。河童が海にしづんだのはこのときである。
 しかし、蜂たちはあたらしい花園を發見した。靑い波のうへに眞紅の花々が壯麗に吹きいでてゐることを知つたときに、蜂たちはすべてをわすれた。花粉のごとく蜂たちは珊瑚礁にむらがり降り、滿潮とともにその生を終つた。
 太陽はあかるくまぶしくきらきらとうすもやのかかつてゐる南方の空氣のなかにみなぎりあふれ、光のいとが無數の花粉のやうにもつれて、おほらかな潮のかをりのなかにしみこんでゐるやうな場所をながれてゆく蜂たちのすがたを、珊瑚礁の底に端坐した河童は感歎するまなざしをもつて眺めずには居られない。かれのこころにふたたび海底を出でようといふ意志がうごいて來たときに、潮がかきはじめ、壯麗な珊瑚の花々が水面にうかびはじめ、天の一角から蜂たちのゆるやかな弱音がおこつて來るのである。

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