『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 21 先哲の詩(27)
月夜宿江島 川義豹
孤島玲瓏天女樓。
投來一夜入淸遊。
陰波偏映陽波起。
巖月遙兼海月浮。
雲表龍碑金蘚色。
階前蟾石桂花秋。
飄然坐覺人間遠。
欲向重溟問十洲。
[やぶちゃん注:川義豹は不詳。
月夜、江の島に宿す 川義豹
孤島 玲瓏 天女の樓
投來 一夜 淸遊に入る
陰波 偏へに陽波を映して起き
巖月 遙かに海月を兼ねて浮く
雲表の龍碑 金蘚の色(しよく)
階前の蟾石(せんせき) 桂花の秋
飄然として坐し 覺ゆ 人間の遠きを
重溟(ちようめい)に向ひて十洲を問はんと欲す
・「陰波 偏へに陽波を映して起き/巖月 遙かに海月を兼ねて浮く」と頷聯を訓読しては見たものの、正直、よく意味が分からない。識者の御教授を乞うものである。
・「金蘚」苔生した旧碑を蔽う美しい苔。
・「碑雲表の龍碑」俗に当時は屏風石と呼んだ碑のことと思われる。「新編鎌倉志卷之六」の江の島の項の「碑石」の条に、
碑石(ひせき) 宮の南の方に立たり。高さ五尺ばかり、廣さ二尺七寸、厚さ四寸。但し上へ幷びに兩縁は別の石なり。座石有るべき物なり。歳古りて紛失したる歟。今は土中へ掘り埋(うづ)めて建たり。碑文の所、中より折れて、續(つ)ぎ合せて建てたり。俗に、江の島の屏風石と云ふ。相傳ふ、此の碑石は、土御門帝の御宇に、慈悲上人の宋國に至り、慶仁禪師に見へて、此碑石を傳へて歸朝すと。篆額は、小篆文にて、粗(ほぼ)大篆を兼ねたり。大日本國、江島靈迹、建寺之記と三行にあり。記の字の所、石(いし)損じて見へがたし。僅(はつ)かに言偏を得て記の字なる事を知る。四傍に雲龍を彫(え)り付け、極めて奇物なり。碑の文は、剥缺して分明ならず。普く好事に搜索すれども、曾て知る人なし。但(ただ)十界の二字、性の字、人の字、成の字など、所々に見へたり。字は楷書なり。碑石の圖左のごとし。
としてかなりクリアーな図を掲げている(私が携帯電話のカメラで接写した見難い写真もリンク先には掲げてあるので参照されたい。なお、その注で詳細を記してあるが、ここに書かれた本碑の宋国伝来説というのは怪しく、信じ難い)。
・「蟾石」現在の江島神社辺津宮の階段下鳥居の左手(エスカー乗り場の右手)の無熱池の上の崖にある蟇石(がまいし)のこと。慈悲上人良真が江の島で修業した際、巨大な蟇がその邪魔をしたため、良真が法力を以って石に化したとされる。
・「重溟」海。
・「十洲」は本来は中国から海を隔てた八方の海中にあるとした仙界を含む十大州のこと。ここが現実の人間(じんかん)を超絶した仙界の謂いであろう。]
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