萩原朔太郎 短歌二首 明治三六(一九〇三)年九月
鳥なきぬ小椿水にながるると山居の日記の一人興(きよう)なし
浦づたひ讚へむすべを又知らず赤人の富士は眞白き (田子の浦にて)
[やぶちゃん注:『明星』卯年第九号・明治三六(一九〇三)年九月号の「香草」欄に「萩原美棹(上毛)」の名義で掲載された。萩原朔太郎満十六歳。
後者は無論、「万葉集」巻第三の山部赤人の知られた長歌と短歌(三一七及び三一八番歌)に基づく。以下に示しておく。
山部宿禰(すくね)赤人、不盡山(ふじのやま)を望める歌一首幷せて短歌
天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き 駿河なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天(あま)の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隱(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行(ゆ)きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り繼ぎ 言ひ繼ぎゆかむ 富士の高嶺は
反歌
田子(たご)の浦ゆ打ち出でて見れば眞白にぞ不盡(ふじ)の高嶺に雪は降りける
反歌は「新古今集」や「百人一首」などでは、
田子の浦にうち出でて見れば白妙(しろたへ)の富士の高嶺に雪は降りつつ
であるが、私はこの『改悪』を好まない。というより、赤人がかくしたのでない以上、『改悪』などという生易しいものではない。短歌嫌いの私に言わせれば、これは立派な犯罪であり、これを赤人の歌として披露して恥じぬ後代の者どもは皆、剽窃(本歌取りとは訳が違う)を確信犯とする救い難い共同正犯――厚顔無恥の鉄面皮(おたんちん)としか思わないと述べておく。]
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