『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より鵠沼の部 引地川
●引地川
當郡の東上草柳村より出(いで)て。南流して福田、長後、上土棚等の諸村を經て。蓼川と合し。圓行村に入り、石川、大庭村等に係り東海道藤澤驛の西を横切きり。當地に至りて海に入る。川名は鵠沼の小名引地に係るを以て起るといふ。石川村の邊既にこの名を呼べり。夫(それ)より上流は長後川、土棚川、圓行川、抔各所の地名を以て名とすといふ。
[やぶちゃん注:河川全長は二一・三キロメートル。
「上草柳村」は「かみさうやぎむら(かみそうやぎむら)」と読む。現在の大和市上草柳。洪積台地である相模野台地中央部に位置し、ここの現在の泉の森公園が引地川の水源地(小田急線大和駅から北西へ約一・五キロメートルの位置)。
「福田」現在、大和市。
「長後」現在、藤沢市。
「上土棚」は「かみつちだななか」と読む。現在の綾瀬市上土棚中。引地川は現在の藤沢総合高等学校(私の最後の勤務校であった)の直近部分で、凡そ一五〇メートルだけ現在の綾瀬市内(ここで南西に少しだけ市域が藤沢市側に突出している)を通る。
「蓼川」は「たてかは(たてかわ)」と読む。
「圓行村」は「ゑんぎやうむら(えんぎょうむら)」と読む。現在の藤沢市円行。多摩大学湘南キャンパス附近(小田急線六会日大前駅の西北西約一キロメートル)。
「石川」円行村から数百メートル下流にあった村。現在の藤沢市石川。
「大庭村」現在の藤沢市大庭。小田急線善行駅の西南西約一キロメートル強の同所引地川沿いには現在、引地川親水公園が造られてある。
「川名は鵠沼の小名引地に係るを以て起るといふ」ウィキの「引地川」によれば、『河川名の由来には諸説があるが、台地からの出口に当たる藤沢市稲荷付近で、砂丘を断ち切って河道を付け替えたことによるという説が有力である。かつては場所により長後川、大庭川、清水川、堀川などの名称で呼ばれていた』とあるから、これは地名の先行ではなく、人工的に砂丘を開鑿して、則ち、「地」面を「引」き割って河口を作った「川」という謂いになる。上流に行くに別名が古く残ることからも、この説は正しいと思われる。]
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