中島敦 南洋日記 十一月二十三日
十一月二十三日(日) 晴、
朝六時半朝食、坂(酒)井氏來、茨木氏と同道タタッチョに赴かんと、南貿前に行くに、バス故障にて發せず。徒歩にて行く。坂井氏は自轉車。八時公學校着、チャムロ靑年團の訓練を見、國語練習所の授業を見る。チャモロはなべて、色の黑さ薄く、容貌の整へるもの多し、加特力教會を見る。茨木氏と道傍にて鰹一尾を購め、校長川村氏の臺所に持込む。一時晝食。午睡。三時十分過バスに乘りサヷナ高原に向ふ。海沿の坦々たる砂道を行く。枯椰子。蘇鐡。鐡木よりタンニンを取る工場。荒廢せる甘庶畑の趾。タルガ小學校のあたりより道漸く上りとなる。り、海の眺望、次第に開け行く。兩側に興發の廢棄せる甘庶畑通る。雜草。所々纖維をとるサイザル(?)栽培さる。運轉手は島民青靑年、車掌は邦人の娘。シナパールに着くに、沖繩縣人會とかにて、合歡の木蔭にて相撲をとり、それを人々集り見る。國民學校長に挨拶さる。道漸く高原に入り、冷氣を催す。猩々草の朱。晝顏の淡紅。戰場ケ原の如き風景あり。羊齒類多し。四時サバナ着。燐鑛發掘を見る暇なく、直ちにバスは歸途に着く。内地の秋の原野を行くが如き爽かさなり。白き斷崖に攀援植物まとひつき、南洋には珍しき風景。昨日と同じく、落日に照らされたるタタッチョ海岸の藍碧の波濤を見つゝ五時、ソンソンに歸る。郵船の人に明日の切符のことを賴む。五時半食事、ここにも、又、鰹あり。夜は郵便局迄葉書投函に行く。内地の田舍の街の夜の如し。床屋。浪花節の蓄音機。わびしげなる活動小屋に黑田誠忠錄。切符賣の女。その前にしやがんで、トーキーの音だけ聞く男二人。幟二本、海風にはためく。昨夜と同じく茨木氏宅にてラヂオを聞き八時半歸る。
[やぶちゃん注:「南貿」南洋貿易株式会社。「九月二十九日」に既注。 「チャムロ靑年團」と「チャモロ」の表記違いはママ。「十一月二十二日(土)」に注したように問題ない。
「サヷナ高原」サバナ高原はロタ島のほぼ中央部にある標高四九六メートルの本格的な高原地帯で、熱帯であるにも拘わらず一年を通して涼しい。ここには海辺に見られるような椰子の木などの典型的な熱帯植物は植生しておらず、松の木や薄の類などが生える。タロイモやホット・ペッパーなどの農作物が数多く栽培されて、ロタ島の野菜供給地でもある。現在、頂上は公園になっており、平和記念碑が建つ。参照した青梅市トライアスロン協会公式サイトの「ロタ島 ROTA(北マリアナ諸島)」によれば、この高原に上る道は二本あるが、『観光には飛行場側から上り、ソンソン村側へ下りる方が途中からの眺めが数段よい。但し、夜間はゲートが閉められ、立ち入り禁止となる』とあって、敦が下ったルートの美観が知れる(但し、引用元には二〇〇九年現在、ソンソン村側へ下る道は閉鎖されているとある)。
「鐡木」マメ科タイヘイヨウテツボク
Intsia bijuga か。「全国木材チップ工業連合会」公式サイト内(上位ページはそこに繋がっている)の「ボゴール植物園で見られる樹木」の中に『小中高木、時に大高木になる。板根がある。樹皮は黄土色、皮目密。マングローブの後背林』を形成し、『葉は、羽状複葉、小葉は卵形』、『果は、豆状長楕円形』で、『材は、鮮黄色から赤褐色に変わる。緻密で耐久性があり、高級建築、家具、器具の柄、楽器などに使う』とあり、『マダガスカル、オーストラリア北部、熱帯アジア、太平洋諸島に分布。メルバウ、イピルなどと呼ばれる』とある。他に「鉄木」と称するものには、セイロンテツボク
Mesua ferrea と ウリン(ボルネオテツボク) Eusideroxylon zwageri があるが、残念ながらいずれもタンニンが採れるという記載を発見出来ていない。識者の御教授を乞うものである。なお、セイロンテツボク
Mesua ferreaは世界で最も重い木材として知られており、その比重は千百二十二キログラム毎立方メートルに達するという(この部分のみウィキの「鉄木」(但し、曖昧さ回避のページ)に拠る)。
「南發」は南洋開発の初期に製糖業を主導した南洋興発株式会社のことであろう。但し、当時は「南興」と約すのが一般的であったようだ。先の「九月二十八日」の「南洋拓殖會社」南洋拓殖株式会社(南拓)の注参照されたい。
「サイザル」単子葉植物綱クサスギカズラ目クサスギカズラ科リュウゼツラン亜科リュウゼツラン属サイザルアサ
Agave sisalana。アサ(麻)の仲間ではないが、歴史的に最も使われてきた繊維である麻にちなんでサイザルアサと命名された。「サイザル」は以前よくこの繊維が船で積み出しされていたユカタン半島のサイザル港に因む。長さ一・五~二メートルの剣のような形の葉からなるロゼットを形成し、不稔性で分枝によって増殖する。若い葉の縁には細かい鋸歯があるが、成熟ともになくなる。サイザルアサは実をつけない雑種であるが、原種はよく分かっていない。原産地であると考えられているメキシコのチアパス州に固有の小規模農産物の調査結果によると、Agave angustifolia と Agave kewensis の交雑種ではないかと考えられている。十九世紀にサイザルアサの栽培は世界中に広がった。現在ではフロリダからカリブ諸島、ブラジル、タンザニアを中心とするアフリカ各国、アジアなどで栽培され、中心的な繊維作物となっている。ダーツ(ハード・ダーツ)の的を造る材料としても知られる(以上はウィキの「サイザルアサ」に拠る)。
「猩々草」ショウジョウソウ
Euphorbia cyathophora 。十月十五日の同注参照。
「燐鑛」化学肥料の原料となるリンを多量に含むリン酸塩鉱物を主成分としたリン鉱石。ロタ島で採れるそれは珊瑚礁に海鳥の死骸・糞・餌の魚・卵の殻などが長期間(数千年から数万年)堆積して化石化したグアノ(guano)であろう。グアノの主要な産地は南米(チリ・ペルー・エクアドル)やオセアニア諸国(ナウル等)である。グアノの語源はケチュア語(ケチュアは旧インカ帝国(タワンティンスーユ)を興した民族)の「糞」でスペイン語経由で英語に入ったもの。グアノには窒素質グアノと燐酸質グアノの二種があり、前者は降雨量や湿度の低い乾燥地帯に形成されたもので、多くの窒素鉱物を含有する。後者は熱帯・亜熱帯など比較的降雨量・湿度の高い地域に形成され、長年の降雨によって窒素分が流出してリン酸分が濃縮されたものである。孰れも近代化学工業に於ける化学肥料には欠かせぬものであった。特に南洋の島嶼に多かった燐酸質グアノは、リン鉱石が発見されるまでは最も主要なリン資源であった。乱採掘によって資源が枯渇したこと、窒素肥料の原料が後にチリ硝石、更には二十世紀初頭のドイツで開発された化学的窒素固定法へと移って行ったことによって衰退した(ここまではウィキの「グアノ」に拠った)。当時のロタを含むリン鉱石については、「社団法人太平洋諸島地域研究所」公式サイトにある小川和美(かずよし)氏の「太平洋島嶼地域におけるリン鉱石採掘事業の歴史と現在」という論文に詳しい。
「攀援植物」「九月十日」の「攀援類」の注を参照。
「郵船」日本の大手三大海運会社の一つで、三菱商事とともに三菱財閥(現在の三菱グループ)の源流企業である日本郵船株式会社のことであろう。
「黑田誠忠錄」新日本映画研究所原作で衣笠貞之助監督になる松竹映画。昭和一三(一九三八)年公開。]