鬼城句集 冬之部 報恩講
報恩講 道端の小便桶や報恩講
[やぶちゃん注:「報恩講」は浄土真宗の宗祖とされる親鸞の祥月命日の前後に宗祖に対する報恩謝徳のために営まれる法会。本願寺三世覚如が親鸞の三十三回忌に「報恩講私記(式)」を撰述したことを起源とするとされる。浄土真宗の僧侶門徒にとっては年中行事の中でも最も重要な法要で荘厳(しょうごん)も最も重い。各本山で営まれる法要は「御正忌報恩講」と呼ばれ、祥月命日を結願(最終日)として一週間に渡って営まれる。別院・各末寺・各一般寺院に於いては「お取越」若しくは「お引上」と呼ばれて「御正忌報恩講」とは日程を前後にずらして一~三、五日間で営まれ、門徒のお内仏(仏壇)でも所属寺院(お手次寺)の住職を招いて「お取越」「お引上」として営まれ、これは「門徒報恩講」とも呼ぶ。このように日付をずらすのは、総ての僧侶門徒は御正忌報恩講期間中に上山(本山参拝)するのが慣わしとされるためである。浄土真宗の宗派別の御正忌報恩講の日程は以下の通りである。
・浄土真宗本願寺派(お西)/真宗高田派
一月 九日より十六日まで
・真宗浄興寺派
十月二十五日より二十八日まで
・真宗大谷派(お東)/真宗佛光寺派/真宗興正派/真宗木辺派/真宗誠照寺派/真宗三門徒派/真宗山元派
十一月二十一日より二十八日まで
・浄土真宗東本願寺派
十一月二十三日より二十八日まで
・真宗出雲路派
十二月二十一日より二十八日まで
このように各派によって日程が異なるのは、親鸞が入滅した弘長二年十一月二十八日(グレゴリオ暦では一二六三年一月十六日)を旧暦の日付のままに新暦の十一月二十八日の日付で行われる場合と、新暦に換算した一月十六日に営まれる場合とがあることによる(真宗出雲路派は月遅れの形を採っている。以上はウィキの「報恩講」に拠った)。これらの日付を見ると、真宗浄興寺派以外は冬の季語として問題ないことが分かる。言っておくが、自由律俳句から始めた私は季語などどうでもいい人間であり、季語の不審を云々しているのは季語存在そのものへの根源的な不信感が存在するためである。本句の眼目は報恩講のために特に置かれたに違いない道端の小便桶の情景そのものにあるのであって、報恩講はホリゾントに過ぎぬ(前の注で示した通り、鬼城の、少なくとも村上家の宗旨は曹洞宗であって真宗ではない)。それを信仰の優しさと見るか――その場限りの仕儀に対する馬鹿げた滑稽と見るか――それとも、宗教の儚さに対し、厳として存在するところの、なみなみと金色(こんじき)の尿(すばり)を湛えた小便桶の実在の重量ととるか――それはひとそれぞれであってよい――。]