『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 21 先哲の詩(17)
望畫島 二首 熊阪邦
自喜名山採薬囘。
寒汀翹首望崔嵬。
波光高暎金銀闕。
霞色偏含天女臺。
忽訝羇人追羽客。
還從方丈向蓬萊。
彩雲咫尺神仙氣。
爲訪沙村酒復開。
巨鼈終古載神仙。
龍伯釣餘滄海灣。
漢代少翁何得識。
秦時徐福未曾攀。
瑤臺隱見烟波外。
珠樹玲瓏縹渺間。
此日好乘輕舸去。
中峰一謁列仙還。
[やぶちゃん注:熊阪邦は熊坂台州(既注)。二首目の三句目「少翁」は底本「小翁」であるが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの「相模國風土記」の「藝文部」で訂した。
畫(ゑ)の島を望む 二首 熊阪邦
自づから喜べり 名山 薬を採りて囘る
寒汀 翹首(げうしゆ) 崔嵬(さいくわい)を望む
波光は 高く暎(は)ゆ 金銀の闕(けつ)
霞色は 偏へに含む 天女の臺
忽ち訝かしみて 羇人は羽客(うかく)を追ふ
還りて 方丈より蓬萊へ向かふ
彩雲 咫尺(しせき) 神仙の氣
爲に 沙村を訪ひて 酒 復た開く
・「翹首」首を擡げて只管に待ち望むこと。
・「崔嵬」山が岩や石でごろごろしていて険しいさま。また、堂塔などが高く聳えているさま。まず、江の島の危崖を前者で述べ、後者を次の句に利かせている。
・「闕」中国で宮門の両脇に設けた物見やぐらの台、石闕(せっけつ)を指し、そこから宮城の門や宮城を指すようにもなったが、ここは江の島の堂宇を仙界の宮殿に、その唐風の山門を「闕」に喩えたものと思われる。
・「羽客」神仙となって空をとべるようになった人。仙人。仙客。
・「咫尺」間が頗る狭いこと。
巨鼈(きよべつ) 終に古へ 神仙を載せ
龍伯 釣り餘ます 滄海の灣
漢代の少翁(せうをう) 何をか識り得ん
秦時の徐福 未だ曾て攀(よ)ぢず
瑤臺(えうだい) 隱見す 烟波の外
珠樹 玲瓏たり 縹渺の間
此の日 好みて 輕舸(けいか)に乘りて去り
中峰 一たび 列仙に謁して還る
・「少翁」(?~前一一九年)は前漢の方士で斉の生まれ。前一一九年に武帝を亡き寵姫王夫人の霊魂を招いて引き逢せると請けがって褒賞を受けた上、文成将軍にまで封ぜられたが、一年経っても夫人の魂を呼ぶことが出来ず、殺されたという。
・「輕舸」軽快に走る小舟、軽舟。
前の律詩は頸聯が対句の体を成していない。]
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