『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 21 先哲の詩(35) 江の島稚児が淵 釈万庵 / 21 先哲の詩 了
江島小兒淵 釋萬菴
信夫毳士鍛金腸。(信夫毳士鍛金膓)
翔雲鐡錫掛瀟湘。
江中孤嶼撫靈境。(江中孤島撫靈境)
天女祠前蘋草香。
路逢綽約少年子。
顏色耀然如桃李。
搖蕩禪心似亂雲。
慇懃攪手誓生死。(慇懃攬手誓生死)
少人睇眄意經營。
慘憺靑翰舫裡情。
百揆千桃伸欵曲。(百揆千桃伸款曲)
低頭不語涙如霙。
誤託風塵爲窈窕。
丹丘縹渺瑤臺沓。
徒因容質累他人。
繚繞宿心憂悄悄。(繚繞宿心憂悄々)
無路乘鸞躡綵烟。(無路乘鸞躡綠烟)
翻然抱石墜蛟涎。
道人求跡號天哭。
偕沒巖潭赴九泉。
浩渺慾河誰盡底。
濫觸須識無眞宰。
波間纖月曲如鉤。
萬古秋風吹渤海。
[やぶちゃん注:釈万庵(寛文六(一六六六)年~元文四(一七三九)年)は江戸中期の芝(東京都港区高輪)の臨済宗妙心寺派佛日山東禅寺の僧で、名は原資、荻生徂徠の門下。詩作は盛唐を範とし、閑と興さえあれば詩を作っていたと伝える。著作「万庵集」(「大東文化大學文學部《中國學科》中林研究室之中國學的家頁(黄虎洞)」内の「管説日本漢文學史略」(江戸前期)に拠った)。表記に問題が多いので、ここでは上に国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの「相模國風土記」の「藝文部」を示し、下に底本の表記を示した。訓読では基本的に前者を用いたが、「慇懃攪手誓生死。(慇懃攬手誓生死)」の箇所だけは「攪」では意味が通じないので、底本の表記を採った。また「百揆千桃伸欵曲。(百揆千桃伸款曲)」の「欵」は「款」の俗字なのでここもやはり底本を採った。
江の島小兒(ちご)が淵(ふち) 釋萬菴
信夫(しんぶ)の毳士(ぜいし) 金腸を鍛へ
翔雲 鐡錫 瀟湘に掛く
江中 孤嶼(こしよ) 靈境を撫(ぶ)し
天女 祠前 蘋草(ひんさう) 香(かん)ばし
路(みち)に綽約(しやくやく)たる少年子に逢ふ
顏色 耀然 桃李のごとし
搖蕩(ようたう)たる禪心 亂雲に似
慇懃に手を攬(と)りて生死を誓ふ
少人 睇眄(ていべん)して 意 經營(けいめい)
慘憺たる靑翰(せいかん) 舫裡(ばうり)の情
百揆 千桃 款曲(くわんきよく)を伸ぶるも
低頭 不語 涙 霙(みぞれ)のごとし
誤りて風塵に託すに窈窕(えうてう)たり
丹丘(たんきゆう) 縹渺として 瑤臺(えうだい)の沓(たふ)
徒(いたづ)らに容質よりて他人を累(わづら)す
繚繞(りようじよう)たる宿心 憂ひ 悄悄(せうせう)
無路なれば鸞(らん)に乘りて綵烟(さいえん)を躡(のぼ)り
翻然として石を抱きて蛟涎(かうぜん)に墜つ
道人 跡を求め 天に號して哭し
偕(とも)に 巖潭に沒して九泉に赴く
浩渺たる慾河 誰(たれ)か底を盡くさんや
濫(みだ)りに觸るること 須らく識るべし 眞宰に無きことを
波間(なみま)の纖月(せんげつ) 曲ること 鉤のごとく
萬古 秋風 渤海を吹く
「信夫」信士。信義に厚い人。
「毳士」不詳。毳衣(ぜいい)という真言宗で着る僧服があるが、稚児が淵伝承の自休和尚は建長寺で臨済宗の僧であるからおかしい。
「金腸」「腸」は腸(はらわた)から転じた心の意で、堅固な信心の謂いであろう。
「瀟湘」もとは湖南省長沙一帯の地域の景勝地の呼称で、特に洞庭湖とそこに流れ入る瀟水と湘江の合流する附近を指す。中国では古くから風光明媚な水郷地帯として知られ、「瀟湘八景」と称して中国山水画の伝統的な画題となった。この画題の流行が本邦にも及び、金沢八景や、ここでの意の湘南の語を生んだ。
「撫」巡る。
「蘋草」これは弁天を祀った社前の池塘に浮く単子葉植物綱サトイモ目ウキクサ科 Lemnaceae のウキクサ類(現在の種としての和名ウキクサは Spirodela polyrhiza を指す)又は水に浮く水草全般を指している。なお、「蘋蘩」(ヒンバン)という語があり、これは浮草と白艾(しろよもぎ)で、別に神仏に捧げる粗末な供え物の謂いもあるから、描写としては相応しい。
「綽約」姿がしなやかで優しいさま。嫋(たお)やかなさま。
「搖蕩」ゆれうごく。ゆすりうごかす。
「攪」手を執る。
「睇眄」流し目で見る。
「經營」物事の準備や人の接待などに勤め励むことをいうが、別に、急ぎ慌てることの意もあり、ここは両意を合わせてとって問題あるまい。
「靑翰」大修館書店の「新漢和辞典」に、「青翰」を、『鳥の形をきざみ青い色を塗った舟の名』とある。当初、私は同じ大修館の「廣漢和辭典」で「青翰」がないため、書籍の意味の「青簡」と同義と採り、仏教の教学の勉励も空しくなり、の謂いで採っていたが、ここが自休と白菊の乗る「舫」小舟の実景であるならば、実に妖艶ではある。
「百揆」多くのはかりごと。
「千桃」不詳。私の直感であるが、これは「千桃」ではなく、「千挑」ではなかろうか? 「挑」には、しかける、そそのかす、気を引いて誘う、という意味があり、ここに頗る相応しいのだが。
「款曲」①いりくんだ事柄。委曲。②うちとけて交わること。懇ろに親しむこと。という両意があるが、下の「伸」が、そうした手練手管を労した籠絡の網を広げ伸ばそうとする、の謂いの他に、述べるに通ずるので、両意を含んでとってよかろう。
「誤」謝るの意であろう。
「窈窕」美しくしとやかなさま。上品で奥ゆかしいさま。
「丹丘」「瑤臺」ともに固有名詞で仙人が住むとされる場所。無論、江の島に擬えたもの。後者は辞書には、殷の紂王の作った台の名に由来する、玉で飾った美しい高殿とあり、これはこれで実景をイメージ出来るが、一句の中の見立ての対句性から考えれば、李白「清平調詩三首其一」の結句「會向瑤臺月下逢」(會(かなら)ず瑤臺月下に向ひて逢はん)などの用語例としての、仙境「瑤臺」にある「高楼」でよい。
「沓」これは一応、「タフ(トウ)」と音読みして原義であるところの「流暢に喋る」の謂い、から自休と白菊の楼台での楽しげな二人の会話と採ってはおくが、この「沓」には「犯す」の謂いをも含ませたものとして第一義的には採る。第一義的には――実は私は当初、これを国訓である「くつ」と読み(但し、中国語に靴の意味はない)――高殿の――ころがり落ちた白菊の「沓」(アップ)――というショットだと思った。大方の御叱正を俟つ。
「繚繞」纏わり巡ること、くねくねと湾曲すること。自休と白菊の「宿心」、秘かな思いの柵とも、幻想の中の二人の肉体の絡み合いともとれ、しかも江の島の高台へとむかう羊腸たる小道の実景もダブってくる。
「無路」最早、それぞれ元の自分の心へ立ち還るすべはない、現実社会に帰るべき道は失われたことを意味していよう。万事休す、カタストロフへの序曲である。
「鸞」は神霊の精が鳥と化したものとされ、「鸞」は雄、雌は「和」と呼ぶ。鳳凰が歳を経て鸞になるとも、君主が仁政を行っている奇瑞として現れるとも言われる想像上の鳥。
「綵烟を躡(のぼ)り」「綵烟」は美しい霞や靄、「躡」は①踏む。②履く。③登る。④到る。⑤追う。従う。⑥速い。といった意味があり、概ね、どれでも解釈は可能であるが、奥津の宮の先の虚空の断崖まで「登り」つめた印象でとった。実は「沓」を「くつ」と読んだトンデモ解釈人の私は秘かにここは――裸足の白菊が「綵烟」を穿いている――ととりたい思いを截ち斬れないでいる。なお、ここは底本の「綠」(生い茂る高い緑樹の上をさして飛ぶように行く白菊の白い素足のイメージ)でも意味は通るように思われる。
「蛟涎」「蛟」は水に住む龍の一種のみずち、その涎(よだ)れであるから、海のことであろう。
「九泉」幾重にも重なった地の底の意で、死後の世界。黄泉。黄泉路。あの世。
「慾河」欲海に同じい。情慾の広く深いさま。ここと次の句は辛気臭いが、自休と同じ臨在僧で、しかも盛唐の詩風を範とした作者ならば、長詩のここにこのような説教染みた詩句を配するのはごく自然であると言える。
「眞宰」真実主宰の略で仏法を護持する諸天・善神を指す。
「纖月」繊維のように細い月。三日月や二日月の異称。
「渤海」「渤」は水の激しく湧き起こるさまやその音。稚児が淵の詠唱時(秋の初旬)の実景を以って詩を締め括る。
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この詩を以って『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より「江の島の部」の「先哲の詩」の全パート四十二首が終了する。訓読するのには底本の返り点のみが手掛かりで、ネット上には(幾つかの詩句を検索した感触では)恐らくは一首として訓読や解釈は載らず、実にこのパートをやり遂げるのに(少々、面倒臭くて忌避していた時期もあった)半年も懸ってしまったが、通読していみると、圧倒的に江の島を蓬莱山のような仙界として意識している人々が多い(というより四十二総ての詩がそうであると言っても過言ではない)ことが分かる。掉尾に稚児が淵の悲恋の七言古詩を配したのも洒落ている(但し、「相模國風土記」の「藝文部卷八 四」も実これで終ってはいる)。尾崎放哉が初恋の相手で従妹であった澤芳衛と一夜の宿をとったのも江の島であった……私の父母が初めてデートしたのも江の島であった……私にとっても江の島は青春の甘酸っぱい味がする忘れられない場所である……]