月光と祈禱 萩原朔太郎 (「月光と海月」初出版)
月光と祈禱
月光の中を泳ぎいで、
群がるくらげを捉へんとす、
手は身體(からだ)を放れてのびゆき、
しきりに遠きにさしのべらる、
藻ぐさにまつはり、
月光の水にひたりて、
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか、
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに、
たましひは凍えんとし、
ふかみにしづみ、
溺るゝごとくなりて祈りあぐ。
『マリヤよ、
はやはやわが信願を聽き届け、
翡翠(ひすゐ)のくらげを與へしめてよ、』
……………………………
かしこにこゝに群がり、
さあをにふるへつつ、
くらげは月光のなかを泳ぎいづ。
[やぶちゃん注:『詩歌』第四巻第五号・大正三(一九一四)年五月号に掲載された。後に「純情小曲集」(大正一四(一九二五)年八月新潮社刊)の冒頭の「愛憐詩篇」群の掉尾に配された(この詩の後に「郷土望景詩」群がくる)。そこでは以下のように改められてある。
月光と海月
月光の中を泳ぎいで
むらがるくらげを捉へんとす
手はからだをはなれてのびゆき
しきりに遠きにさしのべらる
もぐさにまつはり
月光の水にひたりて
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
たましひは凍えんとし
ふかみにしづみ
溺るるごとくなりて祈りあぐ。
かしこにここにむらがり
さ靑にふるへつつ
くらげは月光のなかを泳ぎいづ。
私は個人的に朔太郎の初出に現われる執拗な読点を偏愛する。それは彼の精液のように粘着的な「舌の内在律」を確かに伝えていると感じるからである。]
« 植木屋 八木重吉 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 10 帝都東京――看板あれこれ »