明恵上人夢記 28
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建永元年五月廿日より、在田郡の爲に、立ちどころに直ちに祈禱して行法を始む。二時に寶樓閣法を修す。〔証、本書に見えたりと云々〕幷に二時に佛眼念誦(ぶつげんねんず)・大佛頂等、之を始む。神護寺に於いてす。
一、同廿九日の夜、夢に云はく、一人の童子有り。遍身に寶鬘瓔珞(ほうまんやうらく)を帶び、懌の面にして來りて親近(しんごん)すと云々。又、十餘人の童子有り。皆悉く愛好也。來りて親近すと云々。
[やぶちゃん注:「建永元年」西暦一二〇六年。
「在田郡」和歌山県有田郡。明恵はこの有田郡石垣庄吉原で承安三(一一七三)年一月八日に生まれた。
「〔証、本書に見えたりと云々〕」この割注の意味不詳。そうした祈禱修法の成就は以降の夢が物語っているという意味か? 一応、かく訳した。大方の御批判を俟つ。
「寶鬘瓔珞」諸仏の豊かな美しい頭髪、それに下がる美しい瓔珞。
「懌」よろこび。]
■やぶちゃん現代語訳
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建永元年五月二十日より、生地在田郡(ざいたのこおり)のために、迷うところなく直ちに祈禱をして行法を始めた。次いで続けて宝楼閣法を修した。〔その修法の効果の証左は、本書の夢に現われているのである。〕ならびに更に間髪を入れず、仏眼念誦(ぶつげんねんず)や大仏頂等の修法、これを滞りなく始めた。総ては神護寺に於いての祈禱修法であった。
一、同二十九日の夜、見た夢。
「一人の童子がいる。全身、美しく眩しいばかりの宝鬘瓔珞(ほうまんようらく)を帯して、喜悦の面相で私の前にやって来ては、如何にも親しげな様子である。……また、十余人の童子が他にもいるのである。皆、悉く美しい相好で、彼らが皆、私のところへやって来ては、如何にも親しげに接して呉れるのである。……
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