日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 33 町屋逍遙
商店の並んだ町を歩くことは、それ自身が、楽しみの無限の源泉である。間口十五フィート、あるいはそれ以下で、奥は僅か十フィート(もっとも後の障子の奥には家族が住んでいる)の家が、何マイルにわたって絶間なく続いている。この大きさには殆ど除外例がないが、而も提灯屋、菓子屋、樽屋、大工、建具屋、鍛冶屋その他ありとあらゆる職業が、この限られた広さの中で行われ、そしてそれらは皆道路に向って開いている。大きな職場はなく、また芸術家と工匠との間の区別は、極めて僅かであるか、或は全然無いかである。親方は各、自分の沽券(こけん)をあげるらしく思われる弟子に限って教育を与えることを以て面目とし、今日にあってもよき芸術家や工匠は、彼等自身が名声を博す番が来る迄は、一般的に、誰の弟子として知られている。私は、ここに子供達の教育法があると思いついた。即ち彼等が日常親しく知っている物が、如何にして製造されるかを見ることである。彼等は往来をブラブラ歩いていて、ちょいちょい職人が提灯をつくつたり、木に彫刻したりするのを、立ち止っては見る。米国の子供達はよく私に、熔解した鉄や、赤熱した鉄を見たことがなく、また或物が如何に製造されるかも見たことがないといった。店の多くで驚くのは、仕入品が極めてすくないことである。数ドル出せば、一軒の店の内容全部を買いしめることも出来よう。而も偶々売れることによる僅かな利益で、充分家族を養うことが出来るものらしい。この写生図(図283)は、一軒の鍛冶屋を示している。人はしょつ中、蹲(うずくま)った儘でいる。鉄床(かなとこ)は非常に小さく、彼のつくる品物もまた小さい。図284は履物と傘とを売る店である。手のこんだ瓦葺の屋根を書くのには長い時間を要するから、私はやらなかった。左手には傘を入れた籃(かご)が見えている。帳(カーテン)の一隅を石にしばりつけて、飛ばぬようにしているところにお目をとめられたい。上にある長い布片は日除の性質を持っている。内部には草履や下駄が見える。
[やぶちゃん注:「間口十五フィート」4・57メートル。間口2間半(約4・55メートル)相当。
「十フィート」約3メートル。
「何マイル」1マイルは約1・6キロメートル。
「親方は各、自分の沽券(こけん)をあげるらしく思われる弟子に限って教育を与えることを以て面目とし、」原文は“Each master made it a point of honor to instruct only such apprentices as were likely to do him credit,”。「沽券」という、今や死語に近い語が訳に用いられている結果、英文より寧ろ日本語の方が難解な印象を与えるまでになってしまった日本語が哀しい。「沽券」は估券とも書き、「沽/估」は売るの意で、元来は土地・山林・家屋などの売り渡し証文である沽券状(沽却(こきゃく)状とも言った)を指したが、そこから人の値うちや体面・品位の謂いとなった。]
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