快適を失つてゐる 萩原朔太郎 (「囀鳥」初出形)
快適を失つてゐる
軟風のふく日
暗鬱な思惟にしづみながら
しづかな木立の奧で 落葉する路を步いてゐた。
天氣はさつぱりと晴れて
赤松の梢にたかく囀鳥の騷ぐをみた
愉快な小鳥は胸をはつて
ふたたび情緖の調子をかへた。
ああ 過去の私の鬱陶しい冥想から 還境から
どうしてけふの情感をひるがへさう。
かつてなにものすら失つてゐない
人生においてすら
私の失つたのは快適だけだ。
ああしかし あまりに久しく快適を失つてゐる。
――思想の憂欝性に就いて――
[やぶちゃん注:『日本詩人』創刊号・大正一〇(一九二一)年十月号に掲載された。「還境」はママ。末尾添書き「――思想の憂欝性に就いて――」は底本(筑摩版全集の初出表示)ではポイント落ちである。後に詩集「靑猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)その他の著者自身の編集になる五つの詩集に「囀鳥」と改題して内容も改めた上で所収されたが(詩の末の「――思想の憂欝性に就いて――」は総てでカットされている)、後に示すようにそれぞれに微妙な変更や誤植などが認められ、確定テクストを定めにくい。とりあえず、筑摩版全集で校訂された「靑猫」版の当該詩を以下に示しておく。
*
囀鳥
軟風のふく日
暗鬱な思惟(しゐ)にしづみながら
しづかな木立の奧で落葉する路を步いてゐた。
天氣はさつぱりと晴れて
赤松の梢にたかく囀鳥の騷ぐをみた
愉快な小鳥は胸をはつて
ふたたび情緖の調子をかへた。
ああ 過去の私の鬱陶しい瞑想から 環境から
どうしてけふの情感をひるがへさう
かつてなにものすら失つてゐない
人生においてすら。
人生においてすら 私の失つたのは快適だけだ
ああしかし あまりにひさしく快適を失つてゐる。
*
但し、この五行目、
赤松の梢にたかく囀鳥の騷ぐをみた
を「靑猫」を始めとする四つの詩集がすべて、
赤松の梢にかたく囀鳥の騷ぐをみた
と誤植していたり(正しく初出通り「たかく」となっているのは「定本靑猫」のみ。「かたく」と敢えて変えた可能性がないとは言いきれないが限りなくあり得ない)、「宿命」(昭和一四(一九三九)年創元選書版)では後ろから四行目の、
かつてなにものすら失つてゐない
を、
かつてなにものをも失つてゐない
と明らかに変えてみたり、「定本靑猫」(昭和一一(一九三六)年版画荘版)・「萩原朔太郎集」(昭和一一年新潮文庫版)」・「宿命」では最終行、
ああしかし あまりにひさしく快適を失つてゐる。
を、
ああしかし あまりにひさしく失つてゐる。
としてみたり、他にも特に挙げないが、句点の出現・消失・再出現も著しい。それ故に今回、誤植(「還境」)もそのままに初出形を示すこととした。]
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