耳嚢 巻之八 雜穀の鷄全卵を不産事
雜穀の鷄全卵を不産事
或る在方にて、鷄を多く飼ひてたまごを取(とり)、商ひける者、米價たつとき時節にもありけん、米をあてがわず粟を以て飼(かひ)けるに、其玉子不殘割(のこらずわり)候へば半月の如くなりしと也。あわを以て飼ける故や、又米穀ならず雜穀なれば其精氣薄く、たま子も又不全哉(や)、人間もまた其心得も有べき事なり。
□やぶちゃん注
○前項連関:特になし。「耳嚢 巻之七」の「蕎麥は冷物といふ事」との類似性が感じられる。なお鶏卵は主に流通機構の問題から江戸時代は高級食材で、庶民の一般的消費物としては普及していなかった。
■やぶちゃん現代語訳
雑穀で飼育した鶏は全卵を産まない事
ある田舎にて、鶏を多く飼って卵を取っては、それを商(あきの)うて御座った者が、米価が高騰した折りででもあったものか、飼料に米を与えず、粟を以って飼(こ)うたところ、どうにも売れ行きが悪い。試みにその一つを割ってみたところ、黄身が半分しかなかった。そこで、産みたての玉子を残らず割ってみて御座ったところが、悉く黄身は半月のようになっておったと申す。
粟を以って飼ったゆえであろうか、または米穀ではなく雑穀であるからして、その精気も米に比して有意に半減するがゆえに、卵もまた不全なものとなってしもうたものか。……これ、人間の場合にもまた、当てはまるものとして心得ておくべきことである。
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