明恵上人夢記 30
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一、同六月一日の夜、夢に云はく、在田郡に故鎌倉大將殿居られて、既に將(まさ)に出で去らむとすと云々。又、宮原の尼御前等、將に出で去らむとすと云々。又、兵衞尉之許より一通の消息を得たり。彼の中を開きて之を見るに、銅を以て之を造れる寶具也。即ち、是花嚴宗(けごんしう)目錄也。傍に湯淺の尼公有りて云はく、「本は得てむ」と。心に思はく、此の兵衞尉、花嚴經書寫の大願有り。是、尋ね得て寫したる本也。數人の中に於いて之を見ると云々。
[やぶちゃん注:後半部、披見している対象がどのようなものであるか、今一つ、私には定かでない。薄い銅版を彫琢して出来た珍しい経巻と私はとったが、大方の御批判を俟つものである。
「同六月一日」建永元(一二〇六)年六月一日。
「故鎌倉大將殿」この呼称は源頼朝とその子頼家が相当するが、ここは頼朝と考えて差し支えあるまい。底本の注でも『文覚との関係が深い頼朝か』とある。無論とっくの昔(建久一〇(一一九九)年)に亡くなっている。
「宮原の尼午前」底本注に、『明恵は紀州の宮原光重と親交があった。その妻を指すか』とあるのみで詳細不詳。「宮原」から連想すると、明恵の出生地に近い、現在の有田市宮原町があり、ここは「15」で見たように明恵の隠棲地の近くでもある。
「兵衞尉」不詳。
「湯淺の尼公」底本注に、『湯浅宗光の妻か』とある。明恵の保護者であった湯浅宗光は「14」で既注。彼は紀伊国保田荘(現在の和歌山県有田市)を領していた。]
■やぶちゃん現代語訳
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一、同六月一日の夜、見た夢。
「私の故郷在田郡(さいたのこおり)に故鎌倉右大将頼朝殿が居られたが、今まさにそこを出立なされようとするところであった。……
……また、その夢の中では別に、宮原の尼御前らが、やはり今まさに出郷なさろうとするところも見た。……
……また、兵衛尉殿のもとより一通の消息が送られてくる。その分厚い書簡を開いて、この中を見てみると、そこにあったのは銅を以って鋳造された宝具であった。そしてそれは則ち、何と、銅で造られたところの華厳経の経典目録なのであった。私の傍には湯浅の尼君が坐っておられ、私に、
「――あの本はかくも得ることが出来ましたよ。」
と仰せられた。
私は心の中で
『……ああ! かの兵衛尉殿は確か、華厳経全巻を書写せんとの大願を持っておられた。……そうか! これはそのために探し尋ねて得、それをかくも荘厳に写した本なのだなぁ!……』
と、とてもありがたい気持ちに包まれながら、他にも数人の人々が取り巻く中に於いて、その華厳経の銅で出来た経巻を厳かに私は披見しているのであった。……
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