鬼城句集 冬之部 雹
雹 雹晴れて豁然とある山河かな
[やぶちゃん注:「雹」は「ひよう(ひょう)」、積乱雲から降る直径五ミリメートル以上の氷の粒を指し、五ミリ未満のものは霰(あられ)である。多くは雷を伴い、この句にも雷鳴を響かせてこそ「豁然」が生きる。しかし歳時記では、これら雹や霰は孰れも夏の季語である。確かに雹は積乱雲の発生が多い夏季に多い(地表付近の気温が高いと完全に融解してしまい大粒の雨になるため、盛夏の八月前後よりも初夏の五、六月に発生し易い)ものの、気象学的には夏特有の現象では決してない。参照したウィキの「雹」にも『日本海側では冬季にも季節風の吹き出しに伴って積乱雲が発生するので降雹がある』とある。いくらなんでも鬼城が「夏」に配するところを誤ってここに置いた可能性はありえないと私は思うから(これは実景であり、それが印象深く作者の脳裏焼きついている以上、それは確信犯としての冬の景であったのであり、鬼城にとって「雹」は冬の季語であったのだと私は思うのである)、これは頗る附きで非歳時記部立であることになる。さて、「雹」の字音は「ハク・ホク」で一部には「ヒヨウ(ヒョウ)」はこの「ホク」が「ハウ」と音変化し、それが更に「ヘウ」→「ヒヤウ」→「ヒヨウ」となったという私にはやや信じ難い転訛説が唱えられているようだが、そのとは別に、実物の「氷の塊」、その「氷」の字音「ヒヨウ(ヒョウ)」或いは「氷雨」則ち「ひさめ」の音読みである「ヒヨウウ(ヒョウウ)」の音変化とも言われる(私はこれなら信じられる)。さてもそこで、「氷雨」を辞書で引けば、第一義に雹や霰のこととして季語を夏とするが、第二義としては、冷たい雨や霙(みぞれ)で、雪が空中で解けかけて雨まじりとなって降るものを指すとし、冬の初めや終わりに多い(晩秋・初冬とするものもある)として、季語を冬と断じている。そもそも季語に冷淡な私にはどうでもいいことであるが、旧守派の梗塞した脳が青筋を立てるかも知れないので敢えて無粋な注をしておく気になった。拘りのある向き(私には全くない)には「現代俳句協会ブログ」に、私のラフな物言いより遙かに緻密にして驚異的な濫觴解析をなさっておられる小林夏冬氏の「季語の背景(11・氷雨)-超弩級季語探究」があるのでお読みなられるがよかろう。氏は演歌「氷雨」(ひさめ:歌手佳山明生の昭和五二(一九七七)年のデビュー作であったが全くヒットせず、昭和五八(一九八三)年に日野美歌との競作で大ヒットとなった曲。作詞は「とまりれん」。)『で歌われたというムードに流され、恣意的に冬の雨を氷雨と使うのは、俳句実作者としていささか主体性に欠けるのではないか、というのが私の自戒を籠めた思いであるし、本意からいえば誤りであることを承知した上で、なおかつ冬の雨を氷雨と使いたい、というはみ出し志向を是とするか、非とするか、悩ましい問題である』と書いて擱筆なさっておられるが――鬼城がこれを読んだらどう思うであろう。是非、鬼城に聴いてみたい気がする。]
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