鬼城句集 冬之部 祝月
冬之部
冬之部
時候
祝月 祝月緋綿も見えて綿屋かな
[やぶちゃん注:「祝月」は斎月とも書き、「いはひづき(いわいづき)」と読む。特に斎(い)み慎む月と考えられた一月・五月・九月の異称でその月の一日には身なりを整えて祝ったり、社寺へ参ったりした。後には目出度過ぎる月の意に転じて婚礼等を控える月とした。ただ、この場合、一月では「新年之部」となり、実際に歳時記は皆、「祝月」を新年の部に入れる。冬の冒頭にこれを配した意図はやや不審である。新暦の一月を現代俳句の「冬」の季節と捉えようとする鬼城の現実に即した主張にしては「鬼城句集」には「新年之部」があるからおかしい。ということは、この「祝月」は旧暦の九月一日で新暦では冬であった年の叙景か? 試みに「鬼城句集」(大正六(一九一七)年刊)の直近で調べて見ると、二年前の大正四(一九一五年)が旧暦九月一日が新暦十月九日、大正三年が旧暦九月一日が新暦十月十九日に相当する。句は満を持して目出度い緋綿を用意して「祝月」の過ぎるのを待つ綿屋の景か? 識者の御教授を乞うものである。]
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