日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 36 虫下し 附 やぶちゃんのポキールの思い出
歩いている内に我々は、広いカラッとした場所へ出た。ここには竹竿を組合せ、布の帳をひっかけた安っぽい仮小屋が沢山あり、妙な絵をかいた旗が竹竿からゆらゆらしていた。図288はこのような仮小屋を示している。これ等の粗末な小屋は、ありとあらゆる安物を売る、あらゆる種類の行商人が占領していた。ある男は彩色した手の図表を持っていて、運命判断をやるといい、ある男は自分の前に板を置き、その上にピカピカに磨いた、奇麗な蛤貝を積み上げていた。これ等は大きな土製の器に入れた、褐色がかった物質を入れる箱として使用される。男は私に、この物を味って見ろとすすめたが、私は丁寧に拒絶した。彼の卓の上には、変な図面が何枚かあり、私はそれ等を研究して、彼が何を売るのか判じて見ようと思った。図面の一つは、粗雑な方法で、人体の解剖図を見せていたが、それは古代の世界地図が正確である程度に、正確なものであった。その他の数葉は、いくら見ても見当がつかないので、私はまさに立去ろうとしたが、その時ふと長い虫の図があるのに気がついて、万事氷解した。彼は私に、彼の駆虫剤をなめて見ろとすすめたのであった! ある仮小屋は、五十人も入れる位大きく、そこでは物語人(ストーリー・テラー)が前に書いたように、法螺(ほら)貝から唸り声を出し、木の片で机をカチカチたたき、聞きほれる聴衆を前に、演技していた。これは我々にも興味はあったが、いう迄もなく我々には一言も判らないので、聞きほれる訳には行かなかった。この演芸は、明かに下層民を目的としたものらしく、聴衆は男と男の子とに限られていた。
[やぶちゃん注:「駆虫剤」原文は“worm medicine”。本邦での人に感染する線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱蟯虫目蟯虫科ヒトギョウチュウ Enterobius vermicularis や旋尾線虫亜綱回虫目回虫上科回虫科回虫亜科カイチュウ属ヒトカイチュウ Ascaris lumbricoides 、扁形動物門条虫綱Cestodaの単節条虫亜綱 Cestodaria 及び多節条虫亜綱 Eucestoda に属する条虫、通称サナダムシ類などの寄生虫駆虫薬(虫下し)としては、古くからセンダンなどの植物やマクリなどの紅藻が利用されてきた。ムクロジ目センダン科センダン Melia azedarach は西南アジア原産の落葉樹木。生薬名を苦楝皮(クレンピ)といい、本種の樹皮を乾燥したものを薬用とする。成分はトウセンダニン・センダニン・メリアノン・マルゴシン・アスカロール・バニリン酸・クマリン誘導体などで駆虫・抗真菌作用を持つ。センダン・エキスは多量に用いると顔面紅潮や眠気などの軽い副作用を持つ。漢方では専ら回虫・条虫の駆虫剤に配合される。なお、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」のセンダンはビャクダン目ビャクダン科ビャクダン(白檀)Santalum albumを指し、本種とは全く異なるので要注意(この部分は「金澤 中屋彦十郎藥局」の「苦楝皮」の記載を参照した)。また、アーケプラスチダ Archaeplastida 界(藻類の一種で、二枚の膜に囲まれた細胞内共生したシアノバクテリアから直接派生したと考えられるプラスチドを持つ一群)紅色植物門紅色植物亜門真正紅藻綱イギス目フジマツモ科マクリ Digenea simplex (一属一種)で、別名「カイニンソウ(海人草)」とも言う(これは海底に立つ藻体が人の形に見えるからではないかと私は昔から思っている)。暖流流域(本邦では和歌山県以南の暖海域)広く分布し、海底や珊瑚礁に生育する。生時は塩辛くて強い海藻臭と粘り気を持つ。マクリという名は「捲(まく)る」(追い払う)に由来し、古く新生児の胎毒を下す薬として用いられたことから、「胎毒を捲る」の意であるとされる。「和漢三才図会」には以下のように載っている(引用は私の電子テクスト「和漢三才図会 巻九十七 藻類 苔類」の掉尾より。詳細注を附してあるので参照されたい)。
*
まくり 俗に末久利と云ふ。
海人草
△按ずるに、海人草(かいにんさう)は、琉球の海邊に生ずる藻花なり。多く薩州より出でて四方に販(ひさ)ぐ。黄色。微(かすか)に黯(くろみ)を帶ぶ。長さ一~二寸、岐有り。根髭無くして微(すこ)し毛茸(もうじよう)有り。輕虛。味、甘く、微鹹。能く胎毒を瀉す【一夜浸水し、土砂を去る。】。小兒初生、三日の中、先の海人草・甘草(かんざう)、二味を用ふ【或は蕗の根を加ふ。】。帛(きぬ)に包み、湯に浸して之を吃(の)ましむ。呼んで甜物(あまもの)と曰ふ。此の方、何れの時より始めると云ふことを知らず[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。本朝、通俗〔の〕必用の藥なり。之を呑みて、兒、涎-沫〔(よだれ)〕を吐く。之を「穢-汁(きたなげ)を吐(は)く」と謂ふ。以て膈上〔の〕胎毒を去るべし。既に乳を吃むに及ばば、則ち吐かず。加味五香湯を用ひて下すべし。
*
これによって、かなり古い時代から乳児の胎毒を去るのに使用してきたことが窺える。ではこれが虫下しの薬として一般化したのはいつかと調べてみると、「ウチダ漢方和薬株式会社」公式サイト内の「生薬の玉手箱」の「【マクリ】」(同社情報誌『ウチダの和漢薬情報』の平成9年03月15日号より転載されたもの)に、私のように「和漢三才図会」を引用した上で、以下のようにあるのが見つかった。
《引用開始》
一方、マクリは「鷓鴣菜」の名でも知られますが、鷓鴣菜の名が最初に現れるのは歴代の本草書ではなく、福建省の地方誌である『閩書南産誌』だとされています。そこには「鷓鴣菜は海石の上に生え、(中略)色わずかに黒く、小児の腹中蟲病に炒って食すると能く癒す」とあり、駆虫薬としての効果が記されています。
わが国におけるマクリ薬用の歴史は古いようですが、駆虫薬としての利用はこの『閩書南産誌』に依るものと考えられ、江戸時代の『大和本草』には、それを引いて「小児の腹中に虫がいるときは少しく(炒っての間違い)食すれば能く癒す」とあります。しかし、引き続いて、「また甘草と一緒に煎じたものを用いれば小児の虫を殺し、さらに初生時にも用いる」とあり、この甘草と一緒に用いるというのは『閩書南産誌』にはないので、この記事は古来わが国で利用されてきた方法が融合したものではないかと考えられます。
《引用終了》
「大和本草」の記載は「卷之八 草之四」「海草類」の「マクリ、かいにんそう」で、「中倉学園」公式サイトの「貝原益軒アーカイブ」のPDF版で原典画像(42コマ目)が見られる。以下に私の読みで書き下して電子化しておく。但し、前の引用の内の『少しく(炒っての間違い)』という指摘を受けてその部分は訂しておいた。
*
鷓鴣菜(マクリ) 閩書に曰く、海石の上に生じて、散碎。色、微黑。小兒腹中に蟲病有らば、炒りて食へば能く癒ゆ。〇甘草と同煎し用ゆれば、小兒腹中の蟲を殺す。初生にも用ゆ。
*
この「散碎」(さんさい)というのは恐らく藻体が細かく分岐していることを言うものと思われる。さて、ここに出る「閩書南産誌」は何喬遠撰の明代の作で、貝原益軒の「大和本草」の刊行は宝永六(一七〇九)年であるから、江戸時代前期の終わりぐらいには既に虫下しとしても使用されていたものと考えてよいだろう。薬理成分はアミノ酸の一種であるカイニン酸(昭和二八(一九五三)年に竹本常松らによって古くから虫下しとして用いられていた紅藻のマクリから単離命名された。カイニン酸はカイチュウやギョウチュウの運動をまず興奮させた後に麻痺させる効果を持つ。この作用は、ドウモイ酸同様にカイニン酸がアゴニスト(Agonist:生体内受容体分子に働きかけて神経伝達物質やホルモンなどと同様の機能を示すような作動薬を言う。)としてグルタミン酸受容体に強く結合し、神経を過剰に興奮させることによって起こることが分かっている。このため、現在はカイニン酸は神経科学分野、特に神経細胞死の研究のために天然抽出物及び合成品が使用されているという(ここはウィキの「カイニン酸」その他を参照した)。モースの見たものがこの孰れであったかはよく分からないが、褐色のゼリー状のもの(ハマグリの殻に入れてあるという点で粘性が高いと考えられる)という点では、マクリっぽい感じがするが、わざと行商人がモースに舐めてみろと言っているところは強い苦みを持ったムクロジを調合した油薬のようなものである可能性も否定は出来ない(但し、マクリも特有の臭いがあり、味も不快であると漢方系資料にはある。……小学校時代、チョコレートのように加工して甘みで誤魔化した物がポキールによる回虫検査で卵が見つかった者に配られていたのを鮮明に思い出す。……何故なら、私はあのチョコレートのような奴が欲しくてたまらなかったから。そのために秘かにポキールをする時には(リンク先はグーグル画像検索「ポキール」!……懐かしいぞう!!)、回虫の卵がありますようにと願ったものだった。……遂にその願いは叶わなかったから、私は今も、あのマクリ・チョコレートの味を知らないのである。……
「物語人(ストーリー・テラー)が前に書いたように」「第八章 江の島に於る採集」図185の挿絵及び解説を参照。「第七章 漁村の生活」の図164も参考になろう。モースが意味は分からないながらも、こうした祭文語り風のものや講談浪曲の雰囲気が決して嫌いではなかったことが窺える。]
« 萩原朔太郎 短歌二首 明治三六(一九〇三)年九月 | トップページ | 『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 22 龍口寺 / 龍口明神社~『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」江の島の部 完遂 »