耳嚢 巻之八 長竿といふ諺言の事
長竿といふ鄙言の事
下ざまの諺に、長竿(ながさほ)にする、又長竿に成るといふは、人の首尾あしき事などいふなり。倒(たふ)るといふ事にや、其子細わかたざりしに、先年京都御普請に登りし人の物語りに、禁中にさほの間といふあり、長き間に留(とま)りは一段落(おち)て、しらす樣の由。禁中伺候の輩不埒なる者は、右竿の間にて其罪を申渡(まうしわたし)、右白洲樣の處へ突出す事の由。鄙諺(ひげん)長竿も、かゝる事によつて云習(いひならは)しけるやしらずと、人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:付句の由来と故事由来譚で軽く連関するか。寧ろ、一つ前の「すあまの事」などの有職故実シリーズである。
・「鄙言」「ひげん」と読む。田舎の言葉。また、世俗の言葉。鄙語(ひご)。
・「長竿にする、又長竿に成る」とは、当時一般的には、俗語で遊女が客に冷たく当たること、また、客が遊女と縁を切ることをいう。根岸はその辺をちょっとぼかして言ったのであろう。
・「さほの間」棹の間は小板敷(こいたじき)の間(清涼殿の南面から小庭に突き出た殿上の間に登る所にあった板敷きの部分。最下層の殿上人である蔵人らが伺候する場所であった)の西にあった間で、底本鈴木氏によれば、『御椅子の覆いをかけておく棹がある所』とある。
■やぶちゃん現代語訳
長竿という俚言の事
下世話の謂いに、「長竿(ながさお)にする」また「長竿になる」と申すは、所謂、その方面の遊び人の、これ、首尾のよろしからざることなんどを申す語で御座る。
長過ぎる竿は立てとして倒るること多ければ、それより、不首尾に終わる、と申す意に転じたものででも御座ろうか、なんどと勝手に思うておったものの、その子細に就きては一向分からず御座ったところが、先年、京都の御所御普請のため、上洛致いた御仁の物語りに、
「……禁中清涼殿には棹(さお)の間と申すところが御座る。このひょろ長き間の、清涼殿の前の小庭へ出るとどのつまり、端っぽのところは、板敷がさらに一段落ちて御座いまして、そこは丁度、お白洲のようになって御座います。……」
との由にて、
「……さても禁中伺候(しこう)の輩の内、不埒なる行いを致いたる者は、この棹の間にてその罪を申し渡しまして、かのお白洲の如き所へ、どんと、突き出だすを、これ、習いと致いて御座る由にて……かの、根岸殿のご不審で御座った俚諺の例の『長竿』と申すも、このような故事によって言い習わされたることか……あ、いや、確かなことにては御座いませぬが……」
と、その御仁が語って御座った。
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