『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 牛招島
●牛招島
海面に二個の小島あり。牛招島(うしまねきじま)と呼ぶ、往昔朱雀院の御宇、神の嶽山王權現の宮司、潮(うしほ)を汲みけるに、海中より美麗の童子、水牛に乘りてあらはれ、手を擧げて宮司を招き、近づけて一卷の絹を與へ、忽然水中に入れりと。
[やぶちゃん注:ネット上での記載は少ないが、「zusitto掲示板」の「久左衞門@西小路」氏の二〇〇七年六月二日の投稿「RE:Umidasuについて考えてケロ♪」に、現在の逗子市桜山九丁目にある浄水場の鐙摺側の角にある小島(岩礁)とあり、『伝説では、承平年間に神武寺山王権現の宮司が御神前に供える潮汲みのため、この島近くの浜辺に出たところ、海中から水牛に乗った美しい童子が現れ、宮司を手招きした。宮司が近付くと童子は一巻の巻物を手渡して、そのまま海中に隠れてしまった。その巻物には「大威徳明王」の尊像が描かれており、天下泰平の祈願が籠められたものとされる』。『現在、神武寺が所有し県指定重要文化財に指定されている「絹本着色大威徳明王図」が、其れであるとされる』という目から鱗の記事があった。写真も同じ掲示板のここ(上記記事も併催されてある)で同氏の撮影になる明瞭なものを見られる。
「朱雀院の御宇」延長八(九三〇)年~天慶九(九四六)年。
「神の嶽山王權現」先の引用から、当時、神武寺に付属した現在の山王神社であることが分かる。この神社以下に見るように分かりにくい場所にあるようであるが、PDFファイルの古代遺跡研究家泰山氏の「泰山の古代遺跡探訪記 神奈川の古代遺跡探訪記001 神武寺・鷹取山探訪記その2 神武寺境内は女人禁制地だった!」に詳しい地図と山王神社の画像が載る。サイト「逗子・葉山旅行
クチコミガイド」のドクターキムル氏の「神武寺(神奈川県逗子市)」にこの山王神社を探索する(結局行き当たられなかったのであるが)記が載るが、何よりこの冒頭の裏参道で出逢った人との不思議な出来事は頗るミステリアスで興味がそそられる。必読!]
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