栂尾明恵上人伝記 69 我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず
同三年十月〔辛寅〕より所勞の氣(け)ありて不食(ふじき)に成り給ふ。上人語りて云はく、我が身に於いて、今は世間出世に付きて所作なし。存命(ながらへ)て久しくあらば、還て諸人の諍(あらそひ)を增すべし。云ふ所の法門は一々に人に似ず。佛説は三科・薀(うん)・處(しよ)・界(かい)の法門も人我無生の理を顯して、凡夫の我執(がしう)を翻せんが爲なれども、是を習ひながらますます我見を增長す。大乘無相(むさう)・無生(みしやう)の妙理、五法三性(しやう)の法門、又越(おつ)百六十心生廣大功德(しんしやうくわうだいくどく)と説き、本初不生阿字(ほんしよふしやうあじ)の密行(みつぎやう)、本尊の瑜伽(ゆが)も、徒に名相妄想(めいさうまうぞう)の塵(ちり)に埋もれて、空しく名利の棘(いばら)に隱れたり。聞くと聞く處佛法を囀(さへづ)るに似たれども、併(しかしなが)ら邊に住し邪に止りて、正慧(しやうゑ)の門戸(もんこ)開けたる詞(ことば)を聞かず。是を制して捨てしめば、名字の教法猶皆絶えぬべし。是を依止(えし)して尋ねんとすれば、佛道の直路(ぢきろ)すべて入門を知らず。佛道入り難く知識あひ難しと云ふこと、誠なるかなや悲しむべし、若し證果(しやうくわ)の聖者たらば、今は彼の阿難尊者の、若人生百歳不見衰老鶴(にやくにんしやうひやくさいふけんすゐらうかく)の偈(げ)を聞いて、入滅せしが如くに、入滅してまし。倩(つらつ)ら此の如き事を思へば、彼の法炬陀羅尼經(ほふこだらにきやう)の中に、過去十四億の如來に親近(しんごん)し奉ると云へ雖も、法を得ざる菩薩ありと説ける、誠に理(ことわり)なりと覺ゆ。何れの世何れの生にか佛法の大意を得、如來の本意を知るべきや。十惡(じふあく)國に充ちて、賢者世を捨つる時は、山河併て其の濁(にごり)に染(そ)みて、國も國にあらず。然れば今は佛法も佛法にあらず、世法も世法にあらず。見るにつけ聞くに觸れても心留るべきに非ざれば、死せん程はよき期也。我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず。又人の大きなる所知庄園を得て出立する樣に覺ゆ。生處分明(しやうしよぶんみやう)なり。聖教の値遇、聞法の益、決定(けつぢやう)して疑なし。豈又千聖(せんしやう)の遊履(いうり)し給ふ處、知らざるにあらんやと云々。
[やぶちゃん注:ここにあるのは当時の(そしてより今の)仏教界宗教界のみならず現実世界への痛烈な指弾であると同時に、明恵の「あるべきやうは」というゾルレンの思想基づく、確信犯としての来世の還想回向の期待に満ち満ちてている。そしてそれがこの「我が死なんずることは、今日に明日を繼ぐに異ならず」という覚悟の確信の言葉となって出現しているのである。
「同三年」寛喜三(一二三一)年。明恵満五十八歳、入滅の前年。
「世間出世に付きても所作なし」俗世間の問題についても、また、現状の仏教界に於いても、やらねばならぬことは最早、なくなった。
「一々に人に似ず」それを聴いた人毎にその受け取り様はみな違っている。
「三科・薀・處・界」。「三科」は、以下の仏教に於ける一切法(この世に存在する一切のもの。この世界を世界たらしめているシステム)を分類した五蘊・十二処・十八界の三範疇を指す。五薀は色(しき)蘊(本来は人間の肉体を意味したが後に総ての物質の存在様態を包括する謂いとなった)・受蘊(感受作用)・想蘊(表象作用)・行蘊(意志作用)・識蘊(認識作用)を指し、十二処は感覚器官の認識作用で、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)意(い)の「六根」に、どの「六根」の対象(前項に順に対置する)であるところの色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)の「六境」を加えたものを指す。十八界は、この「十二処」に認識作用としての「六識」(やはり前掲に順次対置)眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識を加えたものをいう。]
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