鈴木の兄イ
35年も前のこと、新米教師としてどう生きるかに迷っていた頃、僕は本郷台の元船乗りのやる如何にも小汚い森食堂で、ガスの配送をしていた青年(僕と同世代)と出逢った。
その彼と僕は一瞬にして意気投合し、二人でとんでもない酩酊の世界を遊んだのだった……
……彼に呼ばれた彼の結婚式は僕の人生初のスピーチでもあった……
……さても……その二人の酔いの世界?……無免許の、しかも酒に酔った僕を運転席に座らせて
「やぶちゃん、運転してみいな!」
に始まり…………いやいや、こればっかりは、とてもブログには書けやしない……それほどにアブナイ面白さだったな……しかし……
しかし――それは確かに僕の「美しくしもやんちゃな青春」だったに違いない……
その彼が今、年賀状で教師を辞めた僕のことを知って(この二年、僕は母と義母の死を挟んで年賀状を出していない。その間に僕は教師を辞めたのである)。気にかけて、電話を呉れたのであった……
時計が鮮やかに巻き戻る…………
あの頃……確かに「僕ら」は自堕落でありながら……確かに――懸命に――「生」を活きていた……
それを僕はしみじみ懐かしく思った……
……そうして……現に僕を愛してくれている数少ない人が彼なのだとも、僕はしみじみ思うのである…………
――ありがとう、鈴木の兄イ!――
追伸:兄イ、静岡の空港の自然破壊を憤って焼身自殺した僕の友、井上英作氏の遺稿「フィリピーナ・ラプソディー」はここです。
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