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2014/01/11

明恵上人夢記 31

31

一、同六日の夜、夢に云はく、石崎入道之家の前に海有り。海中に大きなる魚有り。人云はく、「是鰐也。」一つの角生ひたり。其の長(たけ)一丈許り也。頭を貫きて之を繫ぐ。心に思はく、此の魚、死ぬべきこと近しと云々。

[やぶちゃん注:「同六日」建永元(一二〇六)年六月六日。

「石崎入道」底本注に明恵の庇護者であった『湯浅氏の一族宗景か。同人の邸が湯浅石崎にあった』とある。湯浅石崎は現在の和歌山県有田郡湯浅町で海浜の地である。

「一丈許り」凡そ3メートルほど。

「鰐」であるが、結論からいうとこれはノコギリザメのような(そのものだと言うのではない)、異様な角を持った軟骨魚類の鮫、サメと断ずるものである。以下、まずは博物学的な迂遠な注にお付き合い戴きたい。なお、途中からは夢の解釈に移ってゆくので悪しからず。

 「康熙字典」編纂の先例となった中国の明代の張自烈撰の字書「正字通」には「鰐」は「鱷」の同字とし、「鱷」の項には怪魚として説明されてある。そこには、頭は虎に似て四足、鼉(ダ:ワニ。)に似る。体長は二丈(六メートル)余り、喙(くちばし)は三尺(九〇センチメートル)、長い尾を持ち、その歯は鋭利。その尾を以って物を取る様は象が鼻を用いるようである。民の受ける害は甚大であるとあって、その後に続く引用では、河にいる淡水産の怪魚としたり、海産の魚類であるが蜥蜴に似るなどともある(以上は「中国哲学電子化計画」のPDF画像を視認した)。

 因みに、荒俣宏氏は「世界大博物図鑑 3 両生・爬虫類」(平凡社一九九〇年刊)の「ワニ」の項で、この「正字通」を要約された後に、これらは『鼉がヨウスコウワニ(アリゲーター)をあらわし』ており、鰐は『ガビアルをあらわしていたのかもしれない』と推理されている。因みに前者はワニ目アリゲーター科アリゲーター属ヨウスコウアリゲーター Alligator sinensis を指す。現在の安徽省・江西省・江蘇省・浙江省の長江下流域に棲息する固有種で、太古には太鼓の皮に利用され、雅楽の鼉太鼓も本種の皮が用いられていた。ヨウスコウアリゲーターはおとなしく、人を襲った記録はない(この部分はウィキの「ヨウスコウアリゲーター」に拠る)。後者はワニ目ガビアル科ガビアル属インドガビアル Gavialis gangeticus(単にガビアルとも呼ぶ)でインド・ネパールに棲息し(かつてはパキスタン・バングラデシュ・ブータン・ミャンマーにもいたが絶滅した)、体長は四~六メートルに達する大型種であるが、こちらも専ら魚食性であるため、人を襲うことはないとされる(この部分はウィキの「ガビアルに拠る)。

 しかし、どうもこの明恵の夢に現われたそれは、そのような想像上の怪魚ではなく、また、見たこともない爬虫類のワニでもないと私は考えるのである。何故なら、それらに共通する四足を持つことが、夢記述に現われていないからである。とすれば、この場合の「鰐」は、まずは私は「古事記」の因幡の白兎に出るところの実在するサメを指しているように思われてならない(ご存知の方も多いとは思うが、現在も出雲地方では鮫を「ワニ」と呼び、を鮫を食べる習慣もあって「ワニ料理」と言う)。確かに角のある点(これは後に述べるように聖痕である)では怪魚ではある。しかし、ノコギリザメのように角のある鮫も実在するから(極めて明瞭な鋸状吻を持つ軟骨魚綱板鰓亜綱ノコギリザメ目 Pristiophoriformes 以外にもより一般的に日本近海で見られるツノザメ目 Squaliformes はまさにその名が示す通り、特徴的な尖った円錐形の吻部を持つ)を持明恵が見たのは全くの奇形のモンストロムであったのとは言えないだろう。何より、明恵がこの「鰐」の夢をはっきりと記憶していたのは、まさに普通の鮫としての「鰐」に、奇体な「角」があったからである。もし「手足」があったら、絶対にそれを叙述しないでいられぬはずである。「角」よりも遙かに「四足」の方が魚にとっては奇体だからである。さらに言うなら、これに四足があれば「之を繫ぐ」のに「頭を貫」いただけでは如何にも不十分であるからである。しかも舞台は湯浅石崎で海浜の地である。以上から私はこれを「角を持った鮫」と採る。この推定については大方の御批判を俟つものである。

 さて、そうなると今度は専ら「鮫」と「角」の問題に移ることになる。ところが本邦に於ける鮫のシンボリズムや文化誌・博物誌というのはあまり知られておらず、また十分に研究されているとも言えない気がする。これから手掛かりとするところの荒俣氏の「世界大博物図鑑 2 魚類」(平凡社一九八九年刊)の「サメ」の記載にも、本邦の「古事記」や古典の中では多様で複雑な属性を持つところの「鰐」は『神話中の異獣として敬して遠ざけている感』がある、と知しておられる。

 まずは荒俣氏が「サメ」の「神話・伝説」に記す、最も古形に位置するアイヌの伝承から見たい。アイヌ語でも鮫は「シャメ」で、海の守り神として祀られたとして、兄と妹の海上での危機回避神話が語られ(神話の内容は当該書を参照されたい)、そこに登場する舟をかつぐようにして速く進むシアチャンクル(年上のサメ)=レプンコル・カムイ(沖を支配する神)という荒神と、同じく舟を乗せながらも静かに優しく走らせるモアチャンクル(年下のサメ)=ヤンケソッキコロ・カムイ(浜に近く寝床をもつ神)として、孰れも海神として春の祭りに於いて祀られるとある。

 また「宇治拾遺物語」の第百七十八話「魚養(うをかひ)の事」には、遣唐使であった男が現地妻との間の子を残して帰ってしまい、恨みを含んだ母によって「宿世(すくせ)あらば、親子の中は行き逢ひなん」と海に投げ入れられるも、その少年が魚に乗って難波の浦の父の元へと辿り着く。後には名筆家となり、「魚養い」と名乗って南都七大寺の額も彼が書いたとあるのだが、その名前から推して恐らくはその少年の乗って来た魚とは「鱶(ふか)」、鮫である(以上の記載は原典に当たった)。

 また沖縄には、暴風にあって船は沈むも、鮫に乗せられて助かった話が多く残り、本土には見られない明らかに鮫をトーテムとする氏族が存在すると荒俣氏の「民話・伝承」の記載にはある。

 これらの話に、鮫を騙して島と陸の架け橋を作らせてそこを「渡って行く」という因幡の白兎の話しを足すならば、孰れも鮫の背に乗って浜へと無事に辿り着くというモチーフの共通性が見られることに気づく。これはとりもなおさず、鮫が漂着神若しくはその使者や回路としての属性を鮫が担っているからに他ならないと私は考えている。

 「宇治拾遺物語」の魚養は、まさに唐土からはるばる「渡海」してきて、まさに類い稀なる「宿世」の縁によって父の元へと辿り着いたのである。このルートを逆に辿ってみると、その大陸の果てには、明恵が切に渡航を願って果たせなかった天竺がある(その二度目の断念はまさにこの夢を見た前の年である)。とすれば、この神聖なスティグマ(角)を持った「鰐」(鮫)とは、他者から区別された、修行者としての仏道精進の使命を帯びたところの明恵自身の、天竺渡航への西遊の思い、そこ象徴される原型としての仏教への明恵の復古回帰の強い願望が裏打ちされていると考えても、なんら無理がないと私は信ずるものである。

 しかし今、その「鰐」(鮫)は頭部に無惨に穴が空けられ、太い舫(もや)い綱のようなものによって係留柱(ビット)に結わえ附けられ、自由を奪われている。しかも、それを見ている明恵は『この魚は死期が近い』とある意味、冷静に心に思うのである。

 私はこの渡海をも出来得るはずの神聖な鰐(鮫)とはとりもなおさず明恵自身であり、それが今まさに瀕死の状態にあるというのを、夢の中で明恵自身が冷静に眺め、そして「自身の一つの死」を確かなものとして観察し予感するというシークエンスは、明恵自身の中の人格的成長を期した予知夢の一種であるように思われてならないのである。

 これが私のいい加減な思い付きではない証左として、河合隼雄氏が前掲の「明惠 夢に生きる」で、二度、この夢を取り上げた中で、『このような大魚の死は、明恵の内界における相当な変化を予示している。明恵はおそらくこの夢によって、自分にとっての一つの転換期が到来しつつあることを予感したのではなかろうか』とされ、この夢に続く『短時日のうちに相ついで生じた一連の夢は、明恵が後鳥羽院から賜わる地所を受けるための、心のなかでの内的な準備がはじまっていることを示している、と考えられるのである。あるいは、十一月には正式に高山寺の方に居を移しているので、この夢を見たあたりで内々の交渉があったのかもしれない』と述べられた上で、『明恵にとって高山寺の土地を後鳥羽院より受けとることは、彼の生き方を根本的に変えることになり、大変な覚悟が必要であっただろう。「法師くさい」のが嫌だと言って二十三歳のときに神護寺を出た彼が、約十年を経て、その神護寺の別所を院より賜わって住むことになる。それらすべての事象に、彼は「相応等起」の感をもったであろうし、高山寺に住みつくとしても、それはあくまで自らの求道の姿勢と矛盾するものとはならない、という自信に裏づけられて、彼は院の申し出を受けたのだろう、と思われる。これら一連の夢は、彼のそのような心の動きを反映しているものであろう』と述べておられることを附け加えておきたい。なお、文中の「相応等起」という語は、この八つ後の夢記述に出る語で、底本注に、『事に応じて出現すること』とある。]

 

■やぶちゃん現代語訳

31

一、同六月六日の夜、見た夢。

「石崎入道の家の前に海が広がっている。その海の中に大きな魚がいる。ある人が、

「これが鰐(わに)だ。」

と言った。

 その鰐の頭部には、突き出た一つの角が生えていた。

 その体長は一丈ばかりであった。

 その鰐が頭を貫かれて、岸辺の杭(くい)に繋がれているのであった。

 私は心に思った。

『――この魚(さかな)は――もう、直きに死ぬんだなぁ……』

と。……

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