耳嚢 巻之八 狂歌贈答滑稽の事
狂歌贈答滑稽の事
淺草邊、輕き町人にて狂歌を好み詠(よみ)て、狂名つむりの光(ひかる)といへるありしが、文化三年四月のころ、時鳥を聞(きく)とて端居して夜深くなりしに郭公は音信(おとづれ)なく、蚊のなのる聲さるされければ蟵(かや)つらんとせしが、釣手の釘なかりしゆゑ鐡鎚(かなづち)をさがして釣手の釘を打(うち)しに、隣の者これを聞(きき)て、夜深く何をなすやと聲かけし故、しかじかの譯かたりければ、御身兼て好(このめ)る狂歌にてもあるべしと、いゝけるまゝに、
郭公待夜に蟵を釣初て柱の釘はしかときいたか
と申(まうし)ければ隣なるをの子、われも詠(よみ)たるとて
かなづちのおとなり故におこされて壁にも耳の郭公かな
と答けるとか。隣のをのこいと面白く覺へしと、泰翁かたりぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:特になし。狂歌譚シリーズ。
・「つむりの光」狂歌師で浮世絵でもあった岸文笑(きし
ぶんしょう 宝暦四(一七五四)年~寛政八(一七九六)年)。一筆斎文調の門人で名は誠之。俗称は宇右衛門。狂歌名は桑楊庵やここに出た頭光(「つぶりのひかる」又は「つむりのひかる」)・巴人亭など。日本橋亀井町の町代であった。参照したウィキの「岸文笑」によれば、『若い時(明和期)に、一筆斎文調の門に入り、黄表紙の挿絵を描いて、名を現した。中年の頃から狂歌を詠み、後に、大田南畝の門人になり、狂歌師となり、伯楽連に属した。酒を好み、頭が早く禿げたために、頭光と称した。巴人亭の号は、南畝より受け、四方側の判者となり、名声高く、門人は大勢いた』。
ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里
の一首が良く知られている。代表作には天明七(一七八七)年編著の「狂歌才蔵集」、天明九(一七八九)年刊の「絵本譬喩節(えほんたとえのふし)」、寛政四(一七九二)年刊の「圃老巷説菟道園(ほろうこうせつうじのその)」などがある、とある。
・「文化三年四月」不審。文化三年は西暦一八〇六年で十年前に『つむりの光』こと岸文笑は亡くなっている。因みに「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏である。伝承の誤りというよりは、亡き狂歌師のために後代に作られた都市伝説の一種のように私には感じられる。そもそもがこの『つむりの光』の町屋の壁際の会話というシチュエーションは、「源氏物語」の知られた夕顔の宿の明け方の景の匂いづけがなされているように私には思われるからでもある。
・「さるされければ」底本では右に『(尊經關本「うるさければ」)』と注する。これで訳した。
・「郭公待夜に蟵を釣初て柱の釘はしかときいたか」は、「ほととぎす まつよにかやを つりそめて はしらのくぎは しかときいたか」と読む。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、
郭公待(まつ)夜に蟵を釣(つり)そめて柱の釘はしかときいたり
となっている。私は本底本の疑問の終助詞による終止の方が遙かに優れていると思う。何故かと言うと、岩波版で長谷川氏が注で指摘されているように、「しかときく」とは『釘が確実に撃ち込まれて有効に働くことをきくという。それと時鳥の声を確かに聞くというのとを掛けた』のであるが、この「きいたか」のヴァリエーションを示され、『時鳥の声は「ホゾンカケタカ」「テッペンカケタカ」というから「きいたか」とするのがよいか』と記されているからである。なお前者の音写は、「本尊懸けたか」(本尊を心にかけて祈っているか)という意味である。訳す必要はあるまい。
・「かなづちのおとなり故におこされて壁にも耳の郭公かな」「おとなり」は「音鳴り」と「御隣り」を掛け、「壁にも耳の郭公かな」は「壁に耳あり」という諺に掛けて、実際に壁越しに隣りから郭公(ほととぎす)のことを聴いたことを述べると同時に、更には釘打ちの音を時鳥の木を敲く音に擬えた風流の贈答でもある。これも訳す必要を感じさせない。
・「横田泰翁」「耳嚢 巻之七 養生戒歌の事」に「横田泰翁」の名で既出。底本の同話の鈴木氏注に、『袋翁が正しいらしく、『甲子夜話』『一語一言』ともに袋翁と書いている。甲子夜話によれば、袋翁は萩原宗固に学び、塙保己一と同門であった。宗固は袋翁には和学に進むよう、保己一には和歌の勉強をすすめたのであったが、結果は逆になったという。袋翁は横田氏、孫兵衛といったことは両書ともに共通する。『一宗一言』には詠歌二首が載っている』とある。
■やぶちゃん現代語訳
狂歌贈答の滑稽の事
浅草辺りの軽い身分の町人にて、狂歌を好んで詠み、狂名を『つむりの光(ひかる)』と称した者が御座ったが、文化三年四月の頃、時鳥(ほととぎす)を聴かんものと、縁に出でては深更に及ぶまで待って御座ったものの……――テッペンカケタカ――という時鳥の訪れは、これなく専ら……ブーンブーン――と申す、蚊の名乗りの声のみが五月蠅ければ、仕方のぅ、蚊帳(かや)を釣らんと致いたところ、蚊帳の釣り手の釘が抜け落ちてのぅなって御座ったによって、金槌と釘を探し出だし……コココンコココンコココンコン――と釣手の釘を柱に打ちつけて御座ったところ、隣に住まう者、これを聞き、
「……お隣さんよ! この、夜更けに、一体、何をしとるんじゃ?!」
と声かけたによって、光、
「いやさ。相い済まぬことで御座った。時鳥の声を聴かんものと、夜遅うまで待ったものの、音づれもこれなく、蚊の声のみ五月蠅ければ、蚊帳を吊らんと致せしところ、蚊帳の釣り手の釘の抜けて御座ったによって、かくも打ちつけて御座った由。失礼仕った。」
との答え。と、それを聴いた隣りの主(あるじ)、
「……一つ御身、かねてより好めるところの狂歌にても、そのことを詠まるるがよかろう。」
とのたっての望みを壁越しに告げたによって、言わるるままに、光、
郭公待夜に蟵を釣初て柱の釘はしかときいたか
と一首ものしたところ、隣なる男は、
「……我らも一首――詠んで御座る。」
とて、
かなづちのおとなり故におこされて壁にも耳の郭公かな
と応えたとか。…………
「……いや、この隣りの男が知り合いで御座っての。彼はこの時のことを、『大層面白う覚えて御座る』とよく、申しておりました。……」
と、狂歌好きの横山泰翁(たいおう)殿の語って御座った。
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