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2014/01/07

橋本多佳子句集「海燕」 昭和十年 櫓山日記

 櫓山日記

 

山莊やわが來て葛に夜々燈す

 

花葛の濃きむらさきも簾(す)をへだつ

 

ひぐらしや絨毯靑く山に住む

 

[やぶちゃん注:「櫓山」は小倉市中原(なかばる。現在の小倉北区中井浜)にあった夫豊次郎自ら設計建築になるが大正九(一九二〇)年に完成した三階建和洋折衷西洋館櫓山荘のこと。堀内薫氏の底本年譜によれば、この櫓山(やぐらやま)と呼ばれた小山は『旧藩時代に、小倉の小笠原藩の黒船見張所として櫓が建てられた御番所跡で』、『海に突き出た岩礁を「境岬」、その近くを流れる川を「境川」とい』い、『海岸に突き出た丘の上に建つ櫓山荘の居間の窓から海原が展望出来』た。『玄海の波濤が近くまで押し寄せ、東方に響灘、関門海峡、前方に巌流島、彦島、六連』(むつれ)の島々『が見える』という絶景の地にあった。『どの階の窓も大きくて』(下記リンク先の当時の写真で確認出来る)、『ステンドグラスに趣向をこらして』あった。『このステンドグラスも、玄関の白と濃い茶の市松模様の敷石も全て英国からの特別注文』製で、『庭にはテニスコート』もあるという、驚くべきオリジナリティに富んだモダンな別荘で、『ロマンチスト豊次郎の自画像とも言うべき個性ある夢多い建築だった』とある(残念ながら建物は現存しない)。なお、山荘の方は「ろざんそう」と読む。但し、この頃は夫の父橋本料左衛門(大阪橋本組創立者)の逝去に伴って小倉から大阪帝塚山(てづかやま)に転居しており(昭和四(一九二九)年十一月)、ここはその後、昭和一四(一九三九)年まで別荘として使用していた(その間に昭和一二(一九三七)年の豊次郎の死去を挟む)。北家登巳氏のサイト「北九州のあれこれ」の「櫓山荘跡」は豊富な現在の画像とともに洒落たロマンティクなかつての櫓山荘の面影が詳しく載る。必見必読である。]

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