ゑかたびら 萩原朔太郎短歌十二首 明治三八(一九〇五)年七月
ゑかたびら
山ずみの一人ありて文きぬと、封をし切らばたちばなこぼれむ。
通夜(つや)の夜を燈灯(ともしび)かこむ物語、欠伸(あくび)かはゆき子の姿かな。
夏の日や、簾あまねくたれこめて、凉しと書きぬまづやる文へ。
ほとゝぎす、梅雨(さみだれ)ばれの白日や、大河流るゝ音きゝ居れば。
さつきやみ烟たなびく暮れ方を、夢のようにて人に添ふみち。
大坂やわれ小なうて伯母上が、肩にすがりし木遣り街かな。
花やかに、かんてら燭(とも)すえん日を、二人いづれば月のぼりけり。
山百合の一輪うえて人まつと、まつり日いでし好(よ)きあにびとよ。
梅雨(つゆ)ばれの柳色ます門邊をば、草笛ふきて君よぎりぬと。
山吹の垣根つくりてある夕、少女すむ家と仲へだてけり。
夕月や橋の袂に衣白き、人と別れぬ山百合のはな。
さくら貝、ふたつ重ねて海の趣味、いづれ深しと笑み問(と)はれけり。
[やぶちゃん注:前橋中学校校友会雑誌『坂東太郎』第四十二号(明治三八(一九〇五)年七月発行)に「萩原美棹」の筆名で所収された「ゑかたびら」と題する十二首連作。当時、朔太郎満十八歳。
五首目「夢のように」はママ。
六首目「小なうて」は「をさなうて」と読む(後注参照)。底本改訂本文では「幼なうて」と『訂正』するが採らない。
八首目「うえて」はママ。
十一首目「袂」はママ。
このうち、六首目「大坂や」と掉尾「さくら貝」の二首は、後に見るように第六高等学校『校友会誌』(明治四一(一九〇八)年十二月号)に、「美棹」署名で「水市覺有秋」の題の七首の中にに配されて、それぞれ(順序は逆転されている)、
大坂やわれをさなうて伯母上が肩にすがりし木遣(きやり)街かな
櫻貝二つ竝べて海の趣味いづれ深しと笑み問はれけり
と改稿されている。以前にも「さくら貝」の短歌を単独で挙げた際にも述べたが、短歌を解さない私ではあるが――であるが故に――この一首は断然、この初出形の方が美しい。]