耳嚢 巻之八 廻文章句の事
廻文章句の事
文化の頃、俳諧の點者に得器といゝて滑稽の頓才なる有(あり)しが、田舍渡(わたり)せしころ、奉納の額に梅を畫て、お德女の面をかきしを出して、是一讀せよと申けるゆゑ、一通りにては面白からじと、即興に廻文(くわいぶん)の發句せし。
めんのみかしろしにしろしかみのむめ
達才の取廻しともいふべきか。
□やぶちゃん注
○前項連関:和歌技芸譚から俳諧技芸譚へ。
・「文化の頃」「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏。因みに文化は十五年(一八一八)年までで同年に文政に改元している。
・「廻文」回文。和歌や俳諧などで上から読んでも下から逆に読んでも同じ音になるように作ってある文句。かいもん。
・「得器」方円庵得器。神田お玉ヶ池在住の江戸座の中の談林派俳諧に属した宗匠島得器。底本鈴木氏の注に『寛政ごろ活躍』したとある。
・「田舍渡」俳諧師の営業法の一つで、岩波版長谷川氏注には『田舎をまわり、揮毫や俳諧の指導などをし歩くこと』とある。
・「お德女の面」底本鈴木氏の注に、『原本には、本ノママと傍書あり(三村翁)。尊経閣本「お福女の面とある』とあるから、所謂、お多福の面である。
・「めんのみかしろしにしろしかみのむめ」は、
面のみか白しに白し神の梅
である。
■やぶちゃん現代語訳
回文(かいもん)章句の事
文化の頃、俳諧の点者にて方円庵得器(ほうえんあんとっき)と申し、滑稽の頓才が御座ったが、田舎渡りを致いて御座った頃のこと、とある地方の社(やしろ)にて、奉納の額にて、梅を描いたものにお多福の面を添え書きしたものを出だされて、
「これに一句詠まれよ。」
と申しつけられたによって、
「――これ――ただ一通りの発句にては、面白う御座るまい。」
と、即興に回文(かいもん)の発句をものしたと申す。
めんのみかしろしにしろしかみのむめ
いや、なかなかに達者なる才気の執り成しともいうべきものにて御座ろうか。
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