痴寂な手 八木重吉
癡寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ
痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞(ふん)さへ むしばんでゆく
わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
ぢぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ
[やぶちゃん注:「ぢぶん」はママ。「痴寂」とは聞き慣れない言葉である。「おろかしい 寂寥の手」と出ること、また「白い雲を」「痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ」とあるのが「痴雲」(落ち着きなく行き消える雲のこと)と云う熟語を連想させることなどから全体の印象としては焦燥と苛立ちを生み出すところの痴愚な寂寥感、愚かな淋しさの謂いである。但し、最終連はその心性を重吉は実は決して完全に嫌悪しているのではなく(完全なる嫌悪対象であるとすればそれは重吉の中では詩を生まないと私は考える)、実はどこかでそれに対して密やかな愛さえも感じているのではなかろうか? そういう意味ではこの語は、掻き毟りたくなるような愚直なる淋しさであるとも言えるように私は読む。大方の御批判を俟つ。]

