中島敦 南洋日記 注
[やぶちゃん注:昭和一六(一九四一)年十二月十五日から十八日までの四日分の日記がない。次の十九日の冒頭に『二日來の喘息、愈々面白からず』とあるから、十五日の夜に激しい喘息発作が起こって、それが日記も記せぬほどに(仕事を休んで安静にしたために記載事項がなかったのかも知れない)持続したのかも知れない。同十五日附(十五日の昼に郵便局で認めて投函したもの)の父中島田人宛葉書が残るので以下に示す(旧全集「書簡Ⅰ」番号一五二)。
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〇十二月十五日附(消印パラオ郵便局一六・一二・一五 世田谷一七・一・二四 南洋パラオ島コロール町南洋庁地方課 東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島田人宛。葉書。航空便)
無事パラオに歸任致しました 當地は極めて落ちついてをりますから、御安心下さい これから役所の外の仕事がいそがしくなります、こちらは今、大變な暑さです、
郵便局でとりいそぎ
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これは恐らく、前掲の前日附たか宛書簡に記された『さて、明日(十五日)、又、三百圓送るつもり。これは、お前への年末(ねんまつ)のボーナス』の郵便為替を送った際に認めたものと思われる。開戦直後の父の心配を慮っての一筆である。]