生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 一 細胞(3) 細胞という存在の様態
以上述べた如く、細胞にも組織にもさまざまの種類があるが、これは皆身體を組み立てる材料であつて、如何なる器官でもそのいづれかかより成らぬものはない。身體を家屋に譬へて見れば、種々の組織は板・柱・壁・疊などに相當するもので、肺・肝・腸・胃などの器官は恰も玄關・居間・座敷・臺所などに當る。即ちこれらの器官は形も違ひ働きも異なるが、いづれも若干の組織の組み合せで出來て居るといふ點は相均しい。されば細胞が集まつて組織を成し、組織が組み合つて器官を成し、器官が寄つて全身を成して居るのであるから、細胞は身體構造上の單位とも見做すべきもので、これをよく了解することは身體の如何なる部分を論ずるに當つても必要である。そして各細胞の壽命は全身の壽命に比して遙かに短いから、絶えず新陳交代して居るが、子供が漸々成長するのも、病氣で瘦せたのが囘復するのも、皆その間に細胞の數が殖えることによる。恰も毎日人が生まれたり死んだりして居る間に、三千五百萬人が四千萬人五千萬人となつて、日本民族が大きくなつたのと同じである。
また人間でも他の生物でも親なしには突然生ぜぬ通り、細胞の殖えるのも決して細胞のない處へ偶然新な細胞が生ずるといふ如きことはなく、必ず既に在つた細胞の蕃殖によつて數が增してゆくのであつて、その際には毎囘まづ始め一個の細胞の核が分裂して二個となり、次に細胞體も二個に分れてその間に境が出來、終に二個の完全な細胞になり終るのである。但し場合によつては核が分裂しただけで細胞體は分れぬこともあり、また細胞と細胞との境が消え失せて相繫がつてしまふこともあるから、實物を調べて見ると幾つと算へてよいか分らぬやうなことも往々ある。特に或る種類の海藻では、大きな體が全く境界がない原形質から成り、その中に無數の核が散在して居るだけ故、細胞といふ字は全くあて嵌らぬ。生物體は細胞より成るといふのは決して間違ではないが、かやうな例外とも見える場合のあることを忘れてはならぬ。
[細胞のない海藻類]
[やぶちゃん注:図「細胞のない海藻類」であるが、これは緑藻綱イワズタ目イワズタ科イワズタ属タカノハズタ Caulerpa sertularioides f. longipes に似ているように私には思われる。匍匐茎が円柱状に見える点、奇麗に鷹の羽状に揃った小枝が平面的に広がって陸上の草のように見え、さらに先端部が尖っている点、直立葉の軸が直線状に立ち上がっている点などから、かく同定した。]