橋本多佳子句集「海燕」 昭和十年 みとり
みとり
莖高く華もえ澄めり曼珠沙華
曼珠沙華みとりの妻として生きる
[やぶちゃん注:この二句目は恐らく大方の読者は多佳子自身を詠んだものと思うであろうが、この「妻」は他者である(誰かは不詳であるが、私は多佳子の育ちの良さなどから多分に近親者に対する悼亡句であるような感じがする)。多佳子の夫雄次郎の死は、この二年後の昭和一二(一九三七)年であり、発病も同年一月のことである。しかし何か不吉な感じである。また、そうした確信犯として句集を編む際に多佳子自身が配したとしか思われない。]