中島敦 南洋日記 十一月二十六日
十一月二十六日、(水)
午前中、曇時々風雨。支廳に到り庶務課長と打合せ、終日ブラブラ、夜世戸應眼氏を訪ぬ。五ケ月ぶりなり。
[やぶちゃん注:「世戸應眼」十一月二十七日の注に後掲する十一月二十七日附たか宛書簡に現われる日蓮宗の僧侶。敦が南洋勤務となってサイパン丸で渡航した際(六月二十八日横浜出航、七月六日パラオ島着)に同じ船室で知り合った。『二十一貫』(七八・七五キログラム)もある『ふとった』『坊さんのくせに、音樂が好きで歌ばかりうた』っている『愉快な坊さん』とある。敦の記載からは、南洋方面の信徒集団指導や現地での布教を目的として日本と行き来している人物らしい(敦の訪問先は寺院ではないと思われる)。幾つかの組み合わせで検索してみたが、日蓮宗系統の僧侶等には「世戸」姓の人物は見当たらない。識者の御教授を乞うものである。]
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